大坂山城

大坂山城([障子ヶ岳城  周辺城郭])

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大坂山城の口コミ情報

2023年10月26日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


福岡県の田川郡の香春町にある【大坂山城】♪大坂山(別名・飯岳山で標高573m)から東に伸びる尾根上(標高472m)に城郭は築かれています♪もっともっ〜と、東側には御所ヶ谷神籠石、更には馬ヶ岳城と続いて行き、行橋市へと繋がる場所、田川郡と書きましたが、実際は田川、京都、仲津の三郡に跨る場所に城郭は立地しています♪

築城年は不明です‥‥が、豊前・宇都宮一族の西郷隆頼、杉因幡守隆哉の城郭と伝わります♪大坂山城の南麓の大坂集落には西郷氏の菩提寺である、興聖寺や伝西郷隆頼の墓所と伝わるモノがあります♪

杉氏と云う武将は豊前国の武将で周防国・大内氏の譜代家臣です♪戦国時代の本拠は豊前ながら、大内氏本拠の山口県域に一族は多くて、他に和泉・長門・筑前などで守護代に登用されている一族です♪幕末の吉田松陰の実家などが知られています♪

杉家をクローズアップします♪杉家初代とされる杉貞弘は『観応の擾乱』の往時には足利直冬の武将として記録のある人物で、観応3年(1352年)には同じく足利直冬配下の内藤藤時と共に、対立勢力の大内弘世と度々交戦しています♪この大内弘世は南北朝が一度合体した正平一統後に一時、足利直冬に属しましたが最終的には離反をしています♪正平一統以後の杉氏については史料が少なくて、『観応の擾乱』発生から半世紀後には、大内弘世の子・義弘が起こした『応永の乱』の頃、完全に大内家の勢力に組み込まれており、『応永記』※応永の乱について描かれている軍記物には、大内配下の武将として杉豊後入道、杉備中守、杉九郎などが名を連ねます♪

この杉家は他に和泉・長門・筑前など守護代に登用されてもいます♪一族幅広い活躍です♪周防国・大内氏の晩期、大内義興・義隆の時代には『杉八家』と呼ばれる8つの家系があったともされていますが、その系図は明確ではありません☆この頃の筑前守護代家・豊前守護代家を中心に九州方面の攻略を進めて、大友氏・少弐氏と博多や大宰府の支配権を争っています☆天文20年(1551年)に発生した大内氏の家臣・陶晴賢の謀反劇では、各家で対応が分かれるなど大きく混乱☆大内氏の滅亡を生き延びた家も、帰属先は対立しあう安芸国・毛利方、豊後国・大友方に袂を分かちます☆

さて、永禄9年(1566年)宝満山城主・高橋鑑種をはじめ、秋月種実らは大友氏から離反して挙兵しています☆永禄11年(1568年)には杉因幡守隆哉も、毛利氏に庇護されていた西郷隆頼と共に大坂山城で籠城していますが、大友勢に攻め込まれ降伏‥‥『大坂山の戦い』です♪『都郡大坂山ヲ 杉因幡守、西郷両人で取り誘え候、是又せめ落とされ、杉領も西郷も向参し候』とあります☆
両名が、大坂山城で挙兵したが、大友方に攻め落とされたという内容です☆
永禄12年(1569年)には、西郷隆頼は豊前国で50町を大友氏から預けられています♪

見所は浅めではありますが、畝状竪堀群♪
香春城の支城群と思われる大坂山城♪
香春城の城主は、秋月種実の実子である高橋元種が在城しています♪秋月氏の城郭の防御の要と言えば、やっぱり畝状竪堀群ですね♪

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