尼ヶ森城
尼ヶ森城([姫倉城 周辺城郭])
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尼ヶ森城の口コミ情報
2023年08月07日 国府左京大夫城介
長宗我部氏が改築した対安芸氏の拠点城郭
【歴史】
築城年代は不明で、安芸氏家臣の黒岩越前守(長宗我部元親に仕え、中富川で戦死した黒岩種直の父)の居城と伝わる。永禄元年(1558)に長宗我部氏の家臣吉田重俊が城主となると、安芸国虎と夜須の領有権を巡り、争いが発生し、これを機に長宗我部氏と安芸氏は争うこととなる。安芸氏が滅んだ後も吉田重俊の曾孫である康俊が居城としていたと云われている。
別名:上夜須城(尼ヶ森城・釣鐘城・二本松城を併せて上夜須城とも呼ばれている)
【遺構】
姫倉城から北東3.8kmに位置する山稜(標高81m/比高50m)に築かれている。詰の段を中心に、三方向(西・南・北東)の尾根に曲輪を配置されており、土塁、堀切、切岸、畝状竪堀群、石積みなどの遺構が良好に残っている。
詰の段は切岸のよって高く聳えており、西側を除いて土塁で囲み、土塁の内側には石積みが施されている。また、南曲輪とは大きな堀切で区切られている。南曲輪の斜面には畝状竪堀が築かれている。北東曲輪は自然地形を少し手を加えたものであるが、主郭側から向かう途中に横堀状の通路や土橋、竪堀がある。西側の曲輪は三段の曲輪となっており、上段の曲輪は北側にのみ土塁が設けられている。
【感想】
安芸氏との前線を担った長宗我部氏の城として、かなり堅固に改築されおり、その遺構が極めて良好に残っています。里山として管理されているらしく、城内に入れば藪は一部を除けばほとんどなく、見学しやすいお城です。県道沿いに石碑があるだけで、それ以外に案内板等がなく、城内に入ったのか分かりずらく、自分がどのあたりにいるのか把握するのに少し苦労しました。
この城の見所は南曲輪の斜面に掘られた畝状竪堀です。写真で撮るといまいち感満載ですが、肉眼で見ると中々良いものでした。また、城内には所々石積みが施されており、詰の段では内側に、それ以外は外側に石積みがなされているのが特徴ともいえます。長宗我部氏の山城を多く訪れた訳ではないですが、少なくとも対安芸氏の拠点城郭には相応しい規模と遺構が残っています。
【アクセス】
夜須駅から自転車で約20分。
【写真】
①遠景
②石碑
③西曲輪の土塁
④堀切
⑤畝状竪堀群
⑥詰の段の土塁の内側にある石積み
⑦詰の段下付近の石積み
⑧横堀状の通路