徳能城

徳能城([鷺ノ森城  周辺城郭])

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徳能城の口コミ情報

2020年10月03日 スイトピー❁伊予守


徳能集落の西に聳える比高40m程の常石山頂にある、中世の山城。北西に突き出た得能氏の居城。

主郭とされる山頂部は整備されており、切岸がある程度でその他の遺構は分からなかった。陸軍大将、秋山好古書の徳能道綱忠魂碑が建てられていた。廃城し風化していくさまに、懸命に生きた武士の姿、想い、想像し偲んだ。

登城ルートは狭く細い坂道となっていて、迷いそう…途中からは徒歩にての登城を、おすすめします。案内の標識、標柱が見えてきますが、随分と老朽化しており見落とさないように。(また、看板は真っ二つに割れていて周りを探したが片割れが見つからず)案内通り林道山奥へ進む。昼間でも薄暗く、急な坂道をゆっくり登ると北側虎口だったろう景色が見えてくる。

2020年08月18日 美酒乱☆桃太郎伊予守
県道150号線より細い道を東へ600mほど行った表記番地の先に「常石山直進」の看板がありその先の墓地手前に1台駐車できる。250mほど行くと「徳能公忠魂碑/シロノッサンは直進」の標柱があり、左の山通じる舗装された道を登ると「徳能道綱忠魂碑」が建てられている。

【歴史】 徳能集落の北西方常石山上にあった中世の城で、河野氏の流れをひく得能氏の居城であった。「伊予国桑村郡得能村地誌」には「東西24間南北16間、山の絶頂にあり…」とある。
南北朝時代に、南朝方の忠臣として、新田義貞に従い、得能通綱が土居通増(久米郡石井郷土居)らとともに各地に転戦したが、延元2年(1337年)、越前金ヶ崎の戦いで一族と自刃して果てた。
昭和3年、昭和天皇御大典記念事業として、常石山山頂に通綱の忠魂碑が建立された。碑表の揮毫(きごう)は陸軍大将・秋山好古によるものである。また、徳田小学校校庭の西端には、得能、土居両氏の供養塔も建っている。『今どきの西条(西条市観光物産協会)』より引用。

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