旧池田家(払田分家)庭園
旧池田家(払田分家)庭園([払田柵 寺社・史跡])
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旧池田家(払田分家)庭園の口コミ情報
2021年08月30日 内記かずりヾ(・ε・。)
旧池田家(払田分家)庭園は払田柵の西方約0.6km、標高64.7mの真山丘陵南麓平場に築園された池泉回遊式の日本庭園です。
築園されたのは明治時代末期、施主は払田禮治、築園者は造園家、作庭家、茶人にして日本最初の公園デザイナーである長岡安平、庭園は本家の旧池田家庭園と共に国指定の名勝となっています。
本家である池田家は家伝によれば中世末期に摂津から土着、帰農した武士、池田孫左衛門を祖とする家らしく、戦後の農地解放までは東北三大地主に数えられる程の豪農で、居住地域のみならず秋田県全域において政治、経済、文化に多大な貢献をした素封家でした。
払田柵の外柵内に立地するこの庭園ですが、払田分家が払田柵とは切っても切れない関係となったのは以下のとおりとなります。
→郷土史家、後藤宙外、遺構の存在に気付く。
→払田家支配人、藤井東一、試掘調査と行政に働きかけを行う。
→払田分家、これらの活動に理解を示し支援を行う。
→池田家、金を出す。
こんな感ぢ♪
庭園は夏場は整備が入っていない(国指定の名勝にしては雑な扱いのように感じた…皆様は写真で御判断を…)ようですが紅葉の隠れた名所らしいです。払田柵に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。
払田柵の調査発掘に多大な貢献をした払田分家と池田家、お金があれば何でも出来る…そんな感慨に耽ってしまうおいらはやっぱり根っからの庶民でしたw
※払田柵のリア攻めマップを見ていて気付きましたが、スポットの一部において外郭と外柵の概念が自分に無かった故に少し混乱してしまいました。