築山館

築山館([大内氏城館  周辺城郭])

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築山館の口コミ情報

2023年11月27日 【国替準備】国府左京大夫城介


立派な土塁が残る大内教弘が築いた別邸

【歴史】
15世紀中頃に、大内氏第13代当主である大内教弘(1420~1465)が別邸として築いたと伝わる。
この地を連歌師の宗祇が訪れており、築山にあった立派な庭園に対して一句詠んでいる。
 「池はうみ こずゑは夏の みやまかな」
寛正6年(1465)に教弘が没すると、築山大明神として神格化された教弘を祀る場所になった。

大内氏が滅びた後、この地を治めた毛利氏により、寛文6年(1666)に氷上山山王社(大内氏に所縁がある鎮守社)に築山の跡地は寄進された。
幕末から明治にかけて、八坂神社と築山神社が移築された。

【遺構】
大内氏館跡(龍福寺)の北側に位置する方形居館で、現在は八坂神社の境内となっている。
往時は、周囲を高さ3mほどの土塁で囲み、堀や階段状の石組で組まれた出入口状遺構などがあったが、現在は北西部に土塁が一部残るのみである。本来は土塁でなく石垣であったようだが、毛利氏が幕末に山口城を築く際に築山に残っていた石垣を転用したと伝わる。なお、土塁裾の石垣は近代以降のもので、大内氏時代のものではない。

【感想】
瑠璃光寺に向かう途中のバスの車窓から、分厚い土塁があるなと思ったら、そこが築山でした。
大内氏館にも土塁が復元されていますが、それと比較してもかなり分厚く、本来の大内氏館の土塁もこれ位あったのではないかと想起できます。また、往時は土塁ではなく石垣でもあったことから、大内氏の強さも推し量ることもできます。

今回は親連れでの訪問であったため、時間的制約もあり、見落とした箇所(築山跡史跡公園)やリア攻めできなかった高嶺城があるので、また山口を再訪したいと思います。

【アクセス】
山口駅から「香山公園五重塔前」行きのコミュニティバスに乗り、「八坂神社前」で下車。

【写真】
①八坂神社
②築山神社と土塁
③④北西部に残る土塁
⑤説明版

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