山中鹿介屋敷

山中鹿介屋敷([新宮党館  周辺城郭])

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山中鹿介屋敷の口コミ情報

2023年09月19日 RED副将軍


山陰の麒麟児と称された山中鹿介の生誕地と伝わる屋敷跡🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。
山中鹿介こと山中幸盛の誕生の地と伝わります。
山中鹿介は、尼子氏家臣であった山中満幸の次男として生まれましたが、兄の山中幸高は病弱であったため家督を継いで尼子氏に仕えました。
1565年に毛利元就が月山富田城を攻め寄せて包囲した際に、毛利勢の益田藤兼の家臣である品川大膳と一騎打ちを行い討ち取った伝承があります。
三度、毛利氏は月山富田城を攻め寄せましたが落とすことは出来ませんでしたが、1567年に尼子義久は兵糧が無くなり逃亡者も相次いだため毛利元就に降伏。尼子氏は滅亡します。
山中鹿介は浪人になりながらも、僧侶となっていた尼子勝久を担いで尼子氏再興を目指します。
1569年に毛利氏が北九州遠征のため出雲が手薄となると、山中鹿介は周辺の城を落として勢力を取り戻しました。
しかし、1578年に上月城を毛利氏に包囲され、尼子勝久は自刃。山中鹿介も捕らえられ、毛利輝元が本陣を置いた鞆の浦へ護送中に謀殺されました。

見所
月山富田城北東部の新宮谷の高台に築かれています。
削平地に石碑が建つ程度ですが、月山富田城駐車場から車で3分程度の場所であり、専用駐車場が完備され綺麗に整備されているので併せての訪問をオススメします。

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