浅舞城
浅舞城([吉田城 周辺城郭])
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浅舞城の口コミ情報
2021年06月19日 沼田乃豆腐屋
浅舞城は小野寺輝道の子である小野寺左京進光道(友光)が天正年間(1573~91)に築城した。
天正18年(1590)、豊臣秀吉による仙北地方の検地の際に浅舞城下において、検地に反対して一揆が起こり、光道はこれに敗れて自害したとされる。その後浅舞の地は太閤蔵入地となり、菅蔵人秀磐が城代となった。
佐竹氏が秋田に入部した際には茂木監物が浅舞城を受け取り、元和8年(1622)に破却された。その後、跡地には郡奉行所が置かれた。
ちなみに「奥羽永慶軍記」に浅舞刑部の名が見えるが、関係は不明である。
浅舞城は絵図によると東西120m×南北120mの規模であったとされ、堀跡が認められる。沼地や水路が多く見られ、これらにより水城のような性格を持った城であったと推測される。
しかし、現在は宅地化され、殆ど遺構は残っていない。
近くにある浅舞感恩講保育園には『御役屋門』が残る。寛政7年(1785)、秋田六郡の一つとしてこの地に郡奉行所が置かれた。この門は寛政11年(1793)に郡奉行の今泉三右衛門によって改築されたものという。
①浅舞城跡にある『白山神社』
②浅舞城跡の標柱
③西側。かつては水堀で囲まれていたという。
④すぐ隣にある『三吉神社』
⑤すぐ隣にある『三峯神社』
⑥浅舞感恩講保育園に残る『御役屋門』
⑦かつての堀跡を思わせる『琵琶沼』