鍋倉城
鍋倉城([吉田城 周辺城郭])
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鍋倉城の口コミ情報
2021年06月13日 沼田乃豆腐屋
鍋倉城は小野寺影道の三男である石見守道周が明応年間(1492~1501)に築城したとされる。
天正10年(1582)、大沢山合戦において鍋倉左近の名が見え、この戦いで左近は討死にしている。
また、天正18年(1590)には鍋倉四郎が豊臣秀吉の太閤検地のために入部した上杉景勝・大谷吉継らに抵抗する一揆を起こしたとされる。四郎らは、2000人の農民を伴って増田城に籠った。鍋倉城南端部にはこの時に処刑された者を祀ったとされる「首塚」という地が存在する。
その後、文禄4年(1595)の皆瀬川合戦において鍋倉金蔵の名が見えるが、鍋倉城は文禄5年(1596)に最上氏の攻撃により落城した。それに対し慶長3年(1598)には西馬音内式部小輔・鍋倉相模らが奪還に成功している。
現在、鍋倉城跡は宅地化・水田化により殆ど遺構は消滅している。
①鍋倉城跡
②標柱は朽ちて横たわっていた
③水堀の跡か。水田や用水路となった低湿地帯
④城戸という地名が残る