ミカド屋敷
ミカド屋敷([吉田城 周辺城郭])
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ミカド屋敷の口コミ情報
2021年05月29日 沼田乃豆腐屋
元慶2(878)年、出羽北部の蝦夷が秋田城司の苛政に耐えかねて反乱をおこし、秋田城などを襲撃した(元慶『がんぎょう』の乱)。朝廷は、出羽権守藤原保則(でわのごんのかみふじわらのやすのり)らを派遣してその鎮定にあたった。保則は不動穀(非常時の備蓄米)を雄勝・平鹿・山本三郡等の俘囚に支給し、雄勝城の防衛と反乱軍への攻撃に当たらせた。恩義に感じた当地の豪族深江弥加止(ふかえのみかど※『三門』という表記もある)は、朝廷軍り玉造正月麻呂(たまつくりのむつきまろ)らとともに乱の鎮定に勲功をたてた。その功により弥加止は、外従五位下(げじゅごいのげ)の位階を授けられたという。その屋敷跡がこの付近と推定され、首塚神社は、弥加止の墓地であったという言い伝えもある。
ここから北に約200mのところに首塚神社がある。
首塚神社は、平安時代のはじめ、征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂が、蝦夷を討った際の戦死者の首1千余りをここに埋葬したことで、この名前がつけられたと言われている。また、平安時代後期には、源義家が後三年合戦で戦死した敵味方の首約890をこの地に埋葬し、社殿を建ててその霊を慰めたとも言われている。