小白鹿城

小白鹿城([白鹿城  周辺城郭])

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小白鹿城の口コミ情報

2024年04月08日 RED副将軍


南方の押さえとして築かれた白鹿城の支城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。永禄年間(1558年〜1569年)に松田氏が築いた白鹿城の支城のひとつであり、同じく松田氏により築かれたと思われます。
白鹿城から南西尾根上にあり、南側を守備するための出城として機能したと思われます。
1563年に毛利元就が出雲に侵攻してくると、吉川元春が白鹿城の尾根伝いの北隣に真山城を向城として布陣。
まずは南方の小白鹿城と高坪山城が猛攻を受けて陥落したとされ、白鹿城は尼子義久からの援軍も撃退され落城。松田満久は討死し、松田誠保は落城後に隠岐へ逃れたとされます。白鹿城とその支城群はそのまま廃城となりました。

見所
白鹿城の南西尾根上の標高109mの小ピークに築かれています。
最高所に主郭を置き、北側に虎口が開口。主郭から西を除く三方に小規模な段郭群が配されています。
尾根先端部であり宍道湖まで見渡せます。この眺望だけで重要拠点であったことがわかります。

2024年01月10日 国府左京大夫城介


白鹿城塞群の一つで南尾根を守る拠点

【歴史】
築城年は不明だが、白鹿城を守るために松田氏が築いたと思われる。

永禄6年(1563)8月に、毛利氏によって白鹿城攻めが開始すると、白鹿城塞群(小白鹿城、高坪、大高丸、小高丸)の南端にあるこの小白鹿城に猛攻をかけた。尼子方はよく守るが遂には陥落してしまうも、毛利方の死傷者の7割近くが鉄砲傷だったという。その後、尼子方の援軍の撤退や、白鹿城の背後を守る大高丸や小高丸も陥落したため、城主の松田誠保は同年10月に開城した。

【遺構】
白鹿城の南尾根にある山稜(標高109m/比高79m)に築かれた白鹿城を守る城塞群の一つです。
山稜の山頂部分を主郭として、北・東・南側に数段の小さな曲輪を設けている。特段、土塁や堀切といったものは見受けられず、白鹿城に接する北側の曲輪に虎口があるのみである。

白鹿城の大黒丸との間は、約50mほどの細尾根となっている。

【感想】
白鹿城の曲輪の一つとしても考えることができますが、ここだけ城の名称が付くのはそれだけ重要な防衛拠点の証だったのかなと思います。遺構自体は見るべきものはありませんが、毛利氏と尼子氏の激闘が繰り広げられた所なので、一見の価値はあるかと思います。
アクセス自体も白鹿城とほぼ一体となっているので、他の白鹿城塞群に比べれば訪れやすいです。
また、南端からは松江城や宍道湖などを一望できるので、是非訪れてみてください。

【アクセス】
松江駅から松江市営バスの法吉ループ(右回り/左回り)に乗車し、第二県営住宅前で降車し、徒歩10分ほどで長谷正面登城口となり、そこから白鹿城経由で約30分かかる。

【写真】
①虎口
②北側の曲輪と主郭の境
③主郭
④南端から松江城(左手)や宍道湖を望む

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