楞厳寺跡(福原氏墓所)
楞厳寺跡(福原氏墓所)([鈴尾城 寺社・史跡])
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楞厳寺跡(福原氏墓所)の口コミ情報
2022年06月13日 つか征夷大将軍ぽ
福原氏の墓所があります。
以下説明板より
楞厳寺は、十代広俊の菩提寺で、開山は僧真甫による寺である。防長移封により現在萩市にあり、十三代元俊によって故郷の地名を山号として福原山徳寺と改称されている。下の段の竹東端が境内であったという。
左の釈迦堂は十一代貞俊が先祖を祀った信仰の御堂という。
福原氏の墓所は、芸藩通志によると八墓とされているが、福原氏末裔の墓誌によると東西の墓所に五墓とある。東墓所を右からの話によると、「福原大江朝臣広俊」 (十代)の墓で次は「福原大江朝臣貞俊」(十一代)の墓で あり、次は「祥室妙吉禪尼墳墓跡」で毛利弘元の妻であり元就の母の墓跡である。大正十年に毛利、福原両氏の協議によって多治比の弘元の墓地に改葬された。
西墓所は五十m離れた所にあり右から「福原広俊息女」の であり、左が「福原大江 朝臣元俊」(十二代)の暮 である。