田屋城(八千代)
田屋城(八千代)([猿掛城 周辺城郭])
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田屋城(八千代)の口コミ情報
2024年05月04日 織田上総介晃司
車は湖面に隣接する土師ダム第四駐車場に停めます。
周回道路に接する駐車場が空いていればトイレもありベストポジション。
一番の見どころは三方を取り囲む横堀です。安芸の山城では貴重な遺構です。
比高20mとお手軽山城ですが、本来は土師ダム(八千代湖)が無かったのでもっと比高はあったと思います。
田屋城近くの土師ダムサイクリングターミナルでダムカードを貰う事ができます。
2022年06月13日 つか征夷大将軍ぽ
毛利氏の家臣中村氏の居城です。小さいお城ですが横堀は見事です。安芸の山城では横堀は貴重みたいですね。湖の駐車場が使えるのでアクセスは良いです。また定期的に整備されているようです。
以外説明板より
可愛川の上流、中土師集落を見下ろす丘陵の先端に存在したが、現在ダムの周回道路のすぐ上にある。 標高は286m、現在からの比高は26mだが、ダム建設以前はそれ以上であった。
築城時期は不明であるが、十五世紀から十六世紀にかけて存在したと思われる。城主と伝わる中村氏 は、南北朝期に土師の地に移住したと伝わる国人領主で、十五世紀末元明のときに毛利氏に従い、弘元と興元に仕えた。大永3(1523)年、毛利元就が家督を相続する際、元明は重臣の一人として判に署名 している。中村氏はその後もこの土師を拠点としていたが、江戸時代に入ると毛利氏に従い、萩へ移住し、藩士として仕えた。
城跡は、主郭(中心の)と南側2つの郭を中心に構成され、全体は 南を向いている。南端は道路建設によって破壊され長い通路状になっているが、古写真から元は帯状の郭であったと思われる。また、南を除く三方には全長100mに近い横堀がよく残り、この城の最大の見所であ る。
山城での横堀の使用は安芸では 珍しい。
今は湖底となった、中世の土師地域を領有した中村氏の拠点を伝え貴重な城跡である。