国光城

国光城([黒川城  周辺城郭])

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国光城の口コミ情報

2023年12月16日 大内周防守毛利


 吉田郡山城よりメインで行った国光城(別名 六郎山城)。建保年間(鎌倉時代初め)に三浦弾正国光によって築かれたとされ、現在残っている横堀を伴う畝状空堀を持った時期は不明です。ただ、周辺の城郭にも同じような形式のものもあり、また畝状空堀は国衆などが大名など巨大な組織相手に構築されるものが多いためおそらく大内方国衆が尼子氏と争った時に現在の形式に至ったものだと考えられます(北部九州の畝状空堀だと横堀を伴う形式は技巧的なものとして天正年間まで時期が下がるものとされていますが、天正年間に毛利氏本拠のすぐ東側にあたるこの場所が戦場になっていないので考えづらい。その時の毛利氏の戦線は播磨から備中)。
 この城郭の特徴として外枡形虎口やそれに横矢がかかるものではあるが、石垣に矢穴はなく、また縄張りの形も方形とはなっていない(安芸において天正より後になると方形となる傾向がある。ただこの城は単郭式で北辺が四角くなり、また内部区画は段差が伴う区画が見られるが、測量した訳ではないので内部区画が方形になっていないとは言い切れない。輪郭は畝状空堀が構築された時と同時に区画されたものであろう)。
 虎口は城の北辺の西側、城の南西側、東側の計3箇所にある。城の西側は台地上の谷となり、現在と同じように道が通っていたのであろう虎口が2箇所そちらに向いている。北辺西の虎口は同じく北辺にびっしり設けられた畝状空堀を越えて城壁に取り付く形で虎口がある。さらに優れている点にこの虎口の坂道を登るときに背を向けた方に背後から攻撃できるように城壁に折れがある。この折れはさらに南西の城外側に張り出した枡形虎口(曲輪)に対して防衛する際や出撃して攻撃する際の援護射撃として要を置いている。この折れが南西に対して満遍なく攻撃できるようにこの折れと外枡形の間には唯一畝状空堀が存在しない(存在すると敵兵士が隠れる盾となってしまう)。この折れにより城が防衛オンリーではなく、極めて攻撃的な城郭と変貌していることはかなり技巧的で考えるだけで興奮させるようなものとなっている。南西虎口は外側に貼り石垣を伴う空間から通路を経て枡形(曲輪)となり、そこから北側の折れに向かい下りて出撃する仕組みとなり、それ以外の西、南側は横堀(西と城の南で堀切に変化)があり、守りも厳重となる。東側の虎口も外枡さらに横堀、横堀に出た敵に攻撃できるように横矢がかかり、横堀は畝状空堀と接続する形となる。虎口とその周りの横矢、そして畝状空堀と難攻不落をまさに呈する城郭となっている。
 石垣の石は長方形のものがあれば北辺にある溜池状の窪地に構築された石垣、虎口の両側にあるやや小さめの方形に近い石材、また南西の虎口の外側にやや大きめの貼り石垣があるなどいろんな意匠が見られる。
 この城の面白い点にもう一つ。佐賀の吉野ヶ里や荻生徂徠の『吟録』の北条流で指摘されているように土塁の内側に内虎落の代わりの堀が見られる。
 この城は戦国時代全く史料にでないが、優れた築城技術を持っていることで重要な拠点であったことが考えられる。この城の魅力的な点を挙げるとキリがないですが、吉田郡山城よりおススメどころか今までの城でNo. 1といっても過言ではない城でした。この城のアクセスですが道は存在しません。この城の近くのカーブの部分に段々に積まれたブロックの南端から道を掘り抜いた上の部分スレスレから木々が少なく、石が多くなったところから高い方に歩くと城に着きます。

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