鎮海山城
鎮海山城([木村城 周辺城郭])
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鎮海山城の口コミ情報
2025年03月09日 国府左京大夫城介
能島を去った村上氏が築いた城
【歴史】
天正13年(1585)9月、村上武吉・元吉は小早川隆景に攻められ能島を明け渡し、小早川領である竹原に移住させられた。そこで、鎮海山城を築城し、居城とした。天正15年(1587)小早川隆景が筑前に移封されると、それに従い、竹原の地を一旦離れた。小早川隆景の死後は毛利輝元に仕え、長門に移動した。
慶長2年(1598)に、豊臣秀吉の死後、村上元吉は竹原に移り、再び鎮海山城を居城とした。
慶長5年(1600)に、村上元吉は伊予三津浜にて、加藤嘉明の家臣・佃十成の夜襲を受け、戦死した。
慶長6年(1601)、毛利氏の防長減封に伴い、村上氏は竹原を離れ、屋代島(周防大島)に移った。(これを『竹原崩れ』と称する)それに伴い、鎮海山城も廃城となった。
【遺構】
木村城の南東4.85kmに位置し、竹原の町を見下ろすことができる鎮海山(標高90m)に築かれた山城です。往時は深い湾に突き出た岬だったらしく、賀儀城のような海城であったようです。
頂上が主郭にあたり、北西に軽く削平した郭が数段並んでいる。南東側には海へ突き出す郭があるが、土塁や堀切といった遺構は一切見受けられない。
主郭部分には石組が残っており、これはかつてあった城山神社の名残と言われている。
北西側の麓には、村上元吉と戦死者の墓所がある。
【感想】
全く事前情報なしで訪れたので、能島を去った村上水軍の居城として使われた城とは思ってもいなかったです。
しかし、能島を取り戻すつもりだったのか、失意のまま去ったのか分かりませんが、この鎮海山城は仮住まいのつもりなのか、極めて簡素な造りをしているお城です。削平した郭が数段ある程度で、堀や土塁といったものは全くありません。
とはいえ、麓には三津浜で戦死した村上元吉とその部下の墓所もあり、村上水軍が好きな方は是非訪れてみてください。
竹原駅からも近く、標高も90m程度と登りやすく、ハイキングコースとしても整備されています。
登城口は2か所ありますが、初見の方は案内板がある竹原小学校の南側から登る東側の登城口を推奨します。北西側の登城口は全く案内板がないので、極めて分かりにくいです。
【アクセス】
①竹原駅から徒歩15分(東側登城口)
②竹原駅から徒歩10分(北西側登城口)
【写真】
①東側登城口
②主郭下(南側)
③主郭
④説明板(鎮海山城)
⑤城山神社跡の石組
⑥北西の郭
⑦村上元吉の墓所
⑧説明板(村上元吉の墓)