唐櫃城
唐櫃城([香音寺城 周辺城郭])
香音寺城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「唐櫃城」の地図・口コミがご覧頂けます。
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唐櫃城の口コミ情報
2025年12月28日 尼崎城安芸守一口城主
[進軍編]
公共機関での進軍の一例🛤️9月下旬、山名氏の残像巡りに挑戦中、唐櫃城がラストスポットとなり折角の機会なのでリア攻めに向かいました。
鳥取から森イベントの津山に向かう道中に土師駅で途中下車。
参考までに当日は鳥取5:16発→5:58智頭着/智頭6:17(津山行き)→6:24土師駅着/次発8:23→9:24津山着🛤️の計画で土師駅⇄唐櫃城の持ち時間は約2時間で充分に余裕のある行程のはずでした⌛️※土師駅の8:23発の津山行きを逃してしまうと次は13:09でした。(2025.9訪城時点のダイヤ)
当日は智頭駅乗り換え時間中に駅前の智頭町観光案内所で限定巡りのQRを取得しながら何人かの限定巡りをされている方とエール交換✊皆様、津山に向かうか鳥取に戻るかの方でした。
土師駅で降り、目的地を確認✅土師駅の右側の電柱と重なっている山(写真①)が唐櫃城でした⛰️土師橋上から土師川越しに唐櫃城を眺め(写真②)進むと土師公民館前に<土師のふるさと史跡案内>(写真③、④:唐櫃城ズーム🔍)がありました。※史跡案内図に唐櫃城の詰めの城と思われる横田城が載っていますが登山中、唐櫃城からいつの間にか横田城方面に歩み続けてしまい持ち時間的には余裕があると思っていた所がギリギリになってしまいました💦
Gマップに従って進軍中、目的地が見えていたのですが途中写真⑤の通り歩道がない箇所があるので安全に注意です⚠️進軍中、唐櫃城の麓に天守を模したような建物🏯(写真⑥)が見え、さらに進むと城跡碑や説明板(写真⑦⑧)があり、写真⑧の説明板のマップ通り木原橋や踏切を越え登山道へ進みました。
2025年12月28日 尼崎城安芸守一口城主
[散策前編]
登山道手前の五輪・宝篋印塔(写真①②)にお参りして獣害フェンス(写真③)から何も🐻🐗🦌出てきませんように念じながら熊ベルを鳴らしながら入城🔔
登山中、遺構だと思われる竪堀(写真④)が見られました。往時のものか後世に林道を通す為か不明ながら切り通し(写真⑤)を進み、写真③の獣害フェンスから10分弱の分岐点(写真⑥)に差し掛かります。写真⑥左端に写っている「財産区⬅︎」に進むのが唐櫃城散策では正解でしたが、私は直進し続け詰めの城だったと思われる横田城の石積み(写真⑦)や切岸(写真⑧)を見て、所要時間的にどう考えても唐櫃城を通り過ぎていると判断し引き返し😓
2025年12月28日 尼崎城安芸守一口城主
[散策後編]
散策前編で一旦通り過ぎた分岐点へ引き返し財産区の道標(写真①)に沿って進軍。
堀切(写真②)を眺めながら道標(写真③④)の通り進みましたが写真④地点は草が生い茂っており進軍を躊躇したくなりましたが思い切って突撃‼️先人が投稿されていた城跡碑(写真⑤)に出会うことが出来ました。こちらの城跡碑は平成元年建立(写真⑥)のものでした。城跡碑の後方の一段高い所にある曲輪(写真⑦⑧)を見学👀もっと城山探索を続けたいところでしたが持ち時間が土師駅に戻らなければいけない時間が迫ってきたので泣く泣くお城探索終了🧭石垣を自分の目で見られなかったのが心残りでした😢
2025年11月23日 織田上総介晃司
国道53号沿いに説明板があり、その背後にある山が唐櫃城です。駐車場は無く、生活道を邪魔しないよう林道に車を停める(早朝だったからできたのかも…)
林道を進むと防獣柵があり、閂を外して中に入る(仮締めして下さい)左手に未舗装の登道があり、城内に入る。石垣があるのだが、かなりの薮漕ぎが必要で今回は断念…
ちなみに麓にあるなんちゃって天守は浄水施設。外観は見れますが建物中には入れません。
2025年08月10日 国府左京大夫城介
草苅氏と干戈を交えた地侍木原氏の居城
【歴史】
木原元信が長享年間(1487~1489)の頃に築いたと伝わる。
木原氏は、近江佐々木氏の祖である佐々木定綱の末裔で、木原、横田、福武辺りを所領としていた。
永禄から元亀年間には、草苅衝継・景継(美作・矢筈城主)と数度合戦があったが、木原元信の奮戦により、退けている。しかし、岡城(智頭町西宇塚)の国政氏が草苅方に内応したことで、木原元信は討ち死にし、唐櫃城も落城した。唐櫃城は草苅氏の城となったが、天正7年(1579)に草苅景継が織田方に内通したことが発覚し、切腹した。弟の重継が家督を継ぎ、天正8年(1580)からの羽柴秀吉による因幡攻めでは、毛利方として、織田方に抵抗している。天正10年(1582)に、備中高松城の戦いにおける和睦交渉で、美作が割譲されたことにより、草苅氏は美作・因幡にある城を開城し、備後へと退去した。
【遺構】
香音寺城から、北北東に約2.9kmに位置し、木原集落と横田集落の間にある突き出した尾根にある城山(標高299m/比高80m)に築かれている。
尾根に沿って複数の曲輪で構成されいる。主郭は広さが75m×20m程あり、その北側を守るように幅広の曲輪と深い堀切がある。幅広の曲輪の東側には、緩やかな竪堀として落としている。
土師川に接する南側は主郭の下に二段の曲輪があり、曲輪間の切岸は極めて高い。最下段の曲輪の南側には石垣が施されている。現在は眺望が悪く麓からは見えないが、往時は見せつける目的があったと考えられる。
主郭の東西にもそれぞれ細長い帯曲輪があり、主郭との切岸は高くなっている。
【感想】
エリア限定めぐりの対象となったために、リア攻めを行いました。城の麓北側に舗装された林道があり、獣防止用扉があるので開けて入ります。開けるのは簡単ですが、中に入ってから閉めるのがやや大変かと思います。
城の登城道は、
①林道の途中にある堀切っぽい道を左手によじ登るとが、北端の堀切に繋がる
②林道を登り、財産区の看板をある所を矢印とおりに曲がると、城の北端にたどり着く
があります。(位置はスポット登録済)
遺構の一部は足元が見えない位に藪が茂っている箇所(特に主郭南側にある最下段の曲輪)もありますが、概ね遺構は確認することができます。全体的にコンパクトではあるが、堀切や高い切岸などが明瞭に残っている。ただし、石垣を確認するには藪漕ぎが必要な上、斜面にあるので縄張り図がないと見つけにくい。
林道の入口から、城内を探索し、入口まで戻るのに概ね50分程度かかりましたので、参考としてください。
【アクセス】
①智頭駅からレンタサイクルで20分または徒歩45分。
②土師駅から徒歩20分。(電車の本数が少ないので、あまりお薦めはしません)
【写真】
①国道53号にある石碑と説明板
②北側の堀切
③竪堀
④石垣
⑤東側の帯曲輪の虎口
⑥東側の帯曲輪
⑦主郭の虎口
⑧主郭









