唐櫃城

唐櫃城([香音寺城  周辺城郭])

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唐櫃城の口コミ情報

2025年08月10日 国府左京大夫城介


草苅氏と干戈を交えた地侍木原氏の居城

【歴史】
木原元信が長享年間(1487~1489)の頃に築いたと伝わる。

木原氏は、近江佐々木氏の祖である佐々木定綱の末裔で、木原、横田、福武辺りを所領としていた。
永禄から元亀年間には、草苅衝継・景継(美作・矢筈城主)と数度合戦があったが、木原元信の奮戦により、退けている。しかし、岡城(智頭町西宇塚)の国政氏が草苅方に内応したことで、木原元信は討ち死にし、唐櫃城も落城した。唐櫃城は草苅氏の城となったが、天正7年(1579)に草苅景継が織田方に内通したことが発覚し、切腹した。弟の重継が家督を継ぎ、天正8年(1580)からの羽柴秀吉による因幡攻めでは、毛利方として、織田方に抵抗している。天正10年(1582)に、備中高松城の戦いにおける和睦交渉で、美作が割譲されたことにより、草苅氏は美作・因幡にある城を開城し、備後へと退去した。

【遺構】
香音寺城から、北北東に約2.9kmに位置し、木原集落と横田集落の間にある突き出した尾根にある城山(標高299m/比高80m)に築かれている。
尾根に沿って複数の曲輪で構成されいる。主郭は広さが75m×20m程あり、その北側を守るように幅広の曲輪と深い堀切がある。幅広の曲輪の東側には、緩やかな竪堀として落としている。
土師川に接する南側は主郭の下に二段の曲輪があり、曲輪間の切岸は極めて高い。最下段の曲輪の南側には石垣が施されている。現在は眺望が悪く麓からは見えないが、往時は見せつける目的があったと考えられる。
主郭の東西にもそれぞれ細長い帯曲輪があり、主郭との切岸は高くなっている。

【感想】
エリア限定めぐりの対象となったために、リア攻めを行いました。城の麓北側に舗装された林道があり、獣防止用扉があるので開けて入ります。開けるのは簡単ですが、中に入ってから閉めるのがやや大変かと思います。
城の登城道は、
  ①林道の途中にある堀切っぽい道を左手によじ登るとが、北端の堀切に繋がる
  ②林道を登り、財産区の看板をある所を矢印とおりに曲がると、城の北端にたどり着く
があります。(位置はスポット登録済)
遺構の一部は足元が見えない位に藪が茂っている箇所(特に主郭南側にある最下段の曲輪)もありますが、概ね遺構は確認することができます。全体的にコンパクトではあるが、堀切や高い切岸などが明瞭に残っている。ただし、石垣を確認するには藪漕ぎが必要な上、斜面にあるので縄張り図がないと見つけにくい。

林道の入口から、城内を探索し、入口まで戻るのに概ね50分程度かかりましたので、参考としてください。

【アクセス】
①智頭駅からレンタサイクルで20分または徒歩45分。
②土師駅から徒歩20分。(電車の本数が少ないので、あまりお薦めはしません)

【写真】
①国道53号にある石碑と説明板
②北側の堀切
③竪堀
④石垣
⑤東側の帯曲輪の虎口
⑥東側の帯曲輪
⑦主郭の虎口
⑧主郭

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