月田城

月田城([高田城  周辺城郭])

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月田城の口コミ情報

2024年12月12日 ドクターイエロー治部大輔


文献上では1691(元禄4)年に編集された「作陽誌」に1576(天正4)年に美作高田城の三浦貞広が宇喜多直家、毛利輝元に攻められて孤立した際、直家はお福とのこともあって城を明け渡すように貞広を説得し、その後に月田城主の楢崎元兼に高田城を守らせたと記されています。元々は約4キロ程離れた高田城の支城であったと思われます。廃城になったのは1582(天正10)年以降と思われます。

城跡は3つのこぶ状を成しており、比高差240mの最も高い本丸は30×40mの三角形状で中央に「月田城址」の標柱と共に妙見宮奥の院が祀られています。街道に面している南に伸びる緩やかな尾根には三条の堀切や郭で防御されています。北側には堀切を挟み一段下がった細い平坦面の郭が続き、その先は二重堀切で遮断されています。一方西に向かうとなだらかな尾根上に平坦な郭が続き浅い堀切を挟んで一段高い円形の郭があり南側には井戸らしき遺構を有する郭があります。

堀切を渡ると二の丸です。一部に土塁らしき遺構も確認できます。また三の丸に続く西方向へは竪堀を伴った堀切で防御されています。谷を挟んでの三の丸は鉄塔建設により一部破壊されていますが、数面の郭が確認され中心部には塚状の高まりが残っています。

麓の手谷集落から7合目付近にある妙見宮までは竪堀を連想させるような直登山道を進みますが、そこから先は道は途切れ、軟斜面伝いに彷徨いながらも何とか尾根筋までたどり着くことができました。また地元誌には二の丸に飛礫(つぶて)と思しき河原石数個の記載がありましたが、残念ながら発見には至りませんでした。R6.12.12登城

参照:岡山県中世城郭館跡総合調査報告書

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