高松城水攻め鳴谷川遺跡
高松城水攻め鳴谷川遺跡([備中高松城 寺社・史跡])
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高松城水攻め鳴谷川遺跡の口コミ情報
2021年05月09日 ドクターイエロー大蔵大輔
天正10年(1582)高松城水攻めに際して羽柴秀吉は足守川の水だけでは不足の場合を考え、高松城の背後を流れる鳴谷川をせき止め、「ないし乢」を約9m掘り下げて水を高松側に流し込もうとしました。しかし工事は難行し全行程410mのうち91mを残すところで和睦が成立して高松城は開城となりました。工事奉行は間に合わなかった責を負って自刃したと伝えられています。里人はこれを哀れみ、塚を建立して供養しました。
県道61号線と241号線の交差点付近に説明版と石碑が立てられています。旧道になるので車の往来もなく、現在はのどかな渓谷を楽しむことができます。遺構は残っていないようです。
また工事奉行の小さい塚は少し南側の県道241号線沿いの山中にひっそりと佇んでいます。看板ともども道からも何とか見える位置にあります。岡山市水道局長野配水場付近に駐車スペースがあります。リア攻めマップを参考にしてください。R3.5.9訪問