勝尾山城
勝尾山城([徳倉城 周辺城郭])
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勝尾山城の口コミ情報
2023年10月08日 RED副将軍
備中と備前との境目城🏯
毛利氏と宇喜多氏による備中忍山合戦の舞台⚔
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。
1581年の備中忍山合戦の際に、宇喜多氏の忍山城を攻めるために毛利氏が築いた陣城。毛利方の吉川経言、伊賀家久が在陣したとされます。
宇喜多直家は、浦上氏を裏切り毛利氏に属していましたが織田信長が中国に侵攻してくると毛利氏も裏切って織田信長に従いました。
裏切られた毛利氏は、吉川元春を美作国に差し向け宇喜多領に侵攻、数箇所の城を落とします。
これに対して宇喜多直家は忍山城に宇喜多信濃守、岡剛介を配して毛利氏の攻略を目指しました。
しかし、1581年に毛利氏はこれを察知して忍山城から谷を挟んだ東側の勝尾山城に吉川経言と伊賀家久を布陣させて激突します。
まず吉川経言が攻め寄せ、一旦退却する気配を見せます。宇喜多勢が打って出たところを逆に毛利勢は一斉に攻め寄せ、火を放ち落城させたと伝わります。
その後、伊賀家久は宇喜多方の金川城を夜襲により落城させ、備中高松城の戦いの後、宇喜多氏に奪われていた忍山城の城主に復帰しました。
見所
備前備中境目に位置し、忍山城とは谷を挟んだ東側の山塊に築かれています。
主郭北側が厳重に固められており、中腹の横堀から派生した三条の竪堀が見事であり、更に東尾根は二重堀切と竪堀が連なり畝状竪堀群を形成しています。
西側と南側は忍山城とは反対側となりますが堀切と長い竪堀が認められます。
陣城であり、規模はさほど大きくありませんが技巧的な縄張りが展開されています。
2022年07月18日 生駒讃岐守江現蔵✿
勝尾山城は備前備中の境目にあり、忍山城とは谷を挟んだ東側の山に位置しています。築城年代は不明ですが、1581年に宇喜多氏の忍山城を攻めるため、毛利方の吉川経言(広家)、伊賀与三郎家久らが陣を張っていたと伝わります。
今回は7月の2daysプチオフ会2日目の2城目として初登城しました。忍山城同様に1週間前に下見に行ってくれた阿波の城友さんが「皆さん必ず満足して頂ける」と力強くおっしゃっていたので、夏でも安心して進む事が出来ました。
登城口は、岡山市の県道勝尾峠の近くにあり入口に道標が出ています。コンクリート舗装された細い階段を登りましょう。分岐点にも勝尾城の道標があります。駐車場はないですが、付近にある道路の余白に2台は駐められます。台数が多い時は、観音院の駐車場に止めさせてもらい、乗り合わせて行きましょう。
登り始めて10分もかからず、城域に辿り着きます。コンパクトな縄張りの中に大きな二重堀切、畝状竪堀、竪堀を降りると炭釜跡など、素晴らしい遺構が迎えてくれ、暑さも忘れるぐらい惚れ惚れします。じっくり見て1時間半、是非隣の忍山城とセットで訪城してくださいませ。
2021年02月03日 しおうまる美作守
備前備中の国境にある備前勝尾山城です。
登城口は備前徳倉城のリア攻めマップをご参考下さい。
さて、以前口コミさせていただいた、備中忍山城を後に車で移動すること10分も掛かりません。県道72号より谷の真下の県道71号へ。小さく勝尾山城はこちらの案内板があります。付近の空きスペースに駐車しいざ登城開始!林道を登ること数十分で城域の東に到達です。勝尾山城の標識があり城域に入ったんだな~と実感します。
天正年間に起きた忍山合戦の影響でしょうか、忍山城のあった東側の堀切や竪堀が特にエゲツないことになっています。合戦の現場に遭遇したかの様な緊迫した造りです。このお城の特徴としては、山頂が全体的に緩やかな勾配を描いているため、堀切や竪堀が横堀の様に見えます。最初に目にする堀切も横堀だと勘違いしていましたが、その堀切から3本竪堀が上部にある堀切に向かって伸び、さらに2条の堀切が南に延びています。簡単に言ってしまえば逆L字状。竪堀の印象としては美濃明知城の畝状竪堀?と勝手に重ね合わせて妄想w来た甲斐があったと自己満足に浸れること請け合いです!行きはよいよい♪攻め手目線、振り返って見れば城兵目線☆土の芸術作品に上からも下からも惚れ惚れします。数は少ないですが、その他南や西にも同様の竪堀が残っています。忍山合戦に思いを馳せながら訪れて見らてはは如何でしょうか
【登城日】令和3年1月21日
【参考文献】岡山県中世城郭館跡総合調査報告書、城友さんのメモ♪ 他