日幡城

日幡城([賀陽氏館  周辺城郭])

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日幡城の口コミ情報

2023年04月17日 RED副将軍


毛利氏が織田軍との最前線の国境沿いに備えた境目七城のひとつ🏯境目七城は、備中高松城、宮路山城、冠山城、加茂城、庭瀬城、日幡城、松島城の七城

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。日幡氏の代々の居城であったと伝わります。織田信長の命による羽柴秀吉の中国侵攻において毛利氏が備えた境目七城のひとつで、日幡六郎兵衛が城主でした。1582年の備中高松城の戦いにおいては、毛利元就の娘婿である重臣の上原元祐も織田勢に備えて守備をしていましたが、羽柴秀吉に調略され寝返り。日幡六郎兵衛にも寝返りを勧めてきましたが拒絶します。日幡六郎兵衛は上原元祐を討とうとしますが返り討ちに遭い絶命。日幡城は羽柴勢に降伏しました。その後、小早川隆景は楢崎元兼を向かわせて日幡城を奪い返します。しかし、娘婿でもある重臣の謀叛は毛利勢に大きな影響を与えたとされます。

見所
足守川沿いの丘陵地に築かれていますが、現在は石材店の私有地となり立入禁止です。道路沿いに城跡碑が2基建てられています。道路から竹林の中に削平地を見ることができる程度です。

2021年08月03日 【若】戦国左近将監
【日幡城跡】 
丘城(40m)で日幡氏が城主を務めていた。遺構は石碑の近くに横堀が複数残っている。また、石碑の裏の山も気になる。


以下コピー

築城年代は定かではないが代々日幡氏の居城であった。
毛利氏と羽柴氏が対峙した高松の役では毛利元就の娘婿である上原元祐が羽柴方に寝返り城主日幡六郎兵衛にも寝返りを勧めた。 六郎兵衛はそれを断り元祐を討つべく本丸に帰った所を既に元祐に内通していた弟と元祐の兵に槍で突かれて絶命した。
現在は足守川の土手の道沿いにある石材屋さん?の所に石碑が2つ(新旧かな)ありその裏の丘が城址となっている。 城の西側に流れる用水路は本丸と出丸の間の堀切と云われる。

最寄り駅(直線距離)
2.1km 吉備津駅
2.9km 庭瀬駅
3.0km 備中高松駅
3.6km 備前一宮駅
4.3km 中庄駅

2021年04月29日 ドクターイエロー大蔵大輔


足守川西岸にある備中国境目七城のひとつです。天正10年(1582)高松の役の際には毛利氏に与した城主の日幡六郎兵衛が立て籠り、秀吉軍と対峙しました。一旦は秀吉軍に内紛に乗じて城を奪われてしまいますが、その後見事に奪還に成功し、毛利軍の意地を示したとされています。

堤防沿いの道には石碑が立てられています。すぐ横にある石材店?の敷地内とその奥の小高い藪が城跡です。私有地につき立ち入りは遠慮しておきましょう(一部フェンスが張られています)。また駐車スペースも付近には見当たらないようです。

城跡の北約500mの山頂には楯築遺跡という弥生時代後期の日本最大級の墳丘墓(国史跡)があります。NHKブラタモリでも紹介された古代吉備王国を彷彿させるパワースポットにも是非お立ち寄りください。こちらは駐車場&トイレが用意されています。R3.4.29訪城

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