加茂城

加茂城([賀陽氏館  周辺城郭])

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加茂城の口コミ情報

2022年11月11日 RED副将軍


毛利氏が織田軍との最前線の国境沿いに備えた境目七城のひとつ🏯

境目七城は、備中高松城、宮路山城、冠山城、加茂城、庭瀬城、日幡城、松島城の七城

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。
備中高松城の南方4kmに位置する足守川中流の三角州に築かれた周囲は沼地の平城でした。
織田信長の命による羽柴秀吉の中国侵攻において毛利氏が備えた境目七城のひとつで、本丸には桂廣重、西の丸に上山元忠、東の丸に生石中務少輔が在城したと伝わります。
生石中務少輔は、羽柴秀吉からの調略により寝返りを計るも桂廣重の抵抗により失敗。
備中高松城の清水宗治の自刃と領地割譲を条件に毛利氏と羽柴秀吉との間で和議が成立すると加茂城は破却されたと云われます。

見所
周辺は田畑と民家となり消失。
二の丸跡だけが僅かに残り案内板が立ちます。
湿地帯であり土壇を築いた曲輪で周囲の低地は堀として機能した様です。

2021年04月29日 ドクターイエロー左馬頭


いわゆる備中国境目七城のひとつで、中国地方の雄・毛利氏が天正10年(1582)高松の役の際には織田軍との戦いに備えて備前国との国境に整備した防衛ラインの一翼を担っていました。桂広繁・上山元忠・生石治家が立て籠るも秀吉軍の攻撃の最中に内紛が勃発し落城しました。毛利と羽柴が和睦した後は破却されたもようです。

現在周囲は田畑と住宅地になっていますが、往時は湿地帯が取り囲んでいる沼城でした。細い道沿いにある民家に囲まれた路地を抜けると少し高くなった土塁らしき遺構が説明板と共に残されています。ここが二の丸跡で西に本丸、東に三の丸を配した連郭式縄張りだったそうです。他に遺構は失われているもようです。なお駐車場はなく、少しだけ広い場所にちょこっとだけ停めさせていただきました。R3.4.29訪城

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