足守陣屋

足守陣屋([鍛冶山城  周辺城郭])

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足守陣屋の口コミ情報

2023年12月31日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


岡山県の北区、足守にある【足守陣屋】♪江戸時代の足守藩の陣屋となります♪

関ヶ原の戦いに際して、2万5千石を領有し姫路城主であった木下家定です♪
この戦の際には北政所を守護し中立を貫き、関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601年)同2万5千石で備中国・足守に所領替となりました♪ココに足守木下家が始まり、一時中断しながらも、木下家定の子孫13代目に渡り、藩主を勤めて明治維新まで続きました♪

元々、木下家は平氏の出身で、杉原姓を称して、織田信長の家臣である杉原家定の妹『ねね』が、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)に嫁ぎ、秀吉の天下統一に伴って『北政所』となっています♪この為、北政所の実家は秀吉一族として、木下姓を名乗る事が許され、更には豊臣の称号も与えられています♪

陣屋周りに構えられた、侍屋敷♪
足守藩の国家老を勤めた杉原家の居宅が残ります♪この家老屋敷は往時の形を留めています♪

2022年09月07日 RED副将軍


豊臣秀吉の正室であるねね(北政所)の兄が藩祖である足守藩の陣屋跡🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。
足守藩は豊臣秀吉の正妻であるねね(北政所)の兄である木下家定によって立藩されました。
木下家定は、元々は杉原性を称していましたが、秀吉の立身出世に伴い一族に所遇されて木下性を名乗ることと、豊臣家の菊花紋、五七桐紋の家紋を使用することが認められていました。
秀吉が没し、1600年の関ヶ原の戦いの時は姫路城の城主で、北政所の警護にあたり中立の立場であったため、合戦後は備中賀陽郡と上房郡に同じ石高で移封となり足守藩を立藩しました。
1608年に家定が没すると家督の相続で揉めたため所領は没収され足守藩は幕府直轄領となりましたが、1615年の大坂夏の陣の功績により、次男の木下利房が再び足守藩主に封じられて足守木下家が復活。
それ以後は明治維新に至るまで13代が藩主として存続しました。
現在に残る遺構は、17世紀後期に5代藩主の木下利貞により整備された足守藩陣屋町と考えられています。

見所
現在の陣屋跡は、芝生が敷かれた更地ですが、周囲を囲む水堀と石垣が残っています。
また、近くには江戸時代中期の足守藩木下家の家老職の武家屋敷があり、長屋門、母屋、御成門、内蔵、土蔵などが完全な形態で残っています。

近くに観光駐車場があり、入場料も無料です。

2022年01月30日 織田上総介晃司
足守陣屋付近に駐車場があります。今回旧足守藩侍屋敷の前の駐車場に停めました。

石垣と近水園(庭園)と吟風閣が陣屋跡となります。

足守藩の藩祖・木下家定は豊臣秀吉の正室ねね(北政所)の実兄。秀吉の出世で家定も恩恵を受けた。

昔ながらの町並みを残す足守をブラ散歩するも有り。

2020年09月13日 大納言Z周防守369


足守藩主の陣屋で、藩祖は秀吉の正室ねねの実兄木下家定。家定の死後、一旦領地は没収となったが、家定の二男利房が大坂夏の陣の功により再封され、明治の廃藩置県まで続いた。
訪れたのは2019年9月15日だったが、人気がなく、静かすぎた。

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