新宮周防守屋敷
新宮周防守屋敷([堀内新宮城 周辺城郭])
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新宮周防守屋敷の口コミ情報
2023年12月29日 国府左京大夫城介
新宮氏最後の当主・行栄の屋敷跡
【歴史】
新宮周防守行栄(ゆきひで)が、元亀2年(1571)に居館を下熊野(行家屋敷)から同地へと移した。
新宮氏は源頼朝の叔父にあたる源行家の子孫といわれ、南北朝中期以降は熊野別当にかわって熊野を統治した七家(七上綱(※))の一つです。しかし、堀内氏善がこの地で勢力を拡大してすると、他の七上綱が次々と堀内氏善に屈する中、新宮行栄は最後まで抵抗し、ついには天正19年(1591)に討たれてしまい(暗殺されたとも)、新宮氏は滅亡した。
※七上綱とは宮崎・簑島・矢倉(鵜殿)・滝本・中曽(中脇)・芝・楠(新宮または新)の七家で構成され、合議制によって熊野を統治していた。
【遺構】
堀内新宮城から北に130mに位置し、現在は新宮城主・水野氏の菩提寺である本廣寺周辺にあったとされる。
遺構は消滅しており、館跡の石碑があるのみ。
【感想】
堀内氏善に最後まで抵抗した新宮行栄ですが、お互いの屋敷が近すぎではないでしょうか
堀内氏は元々和田森城(新宮市佐野)に拠っており、新宮氏を滅ぼした後に千穂ヶ峰の東麓に移ってきたみたいです。なので、新宮氏と堀内氏が文字通りお隣さんであったことはないようです。
現在は水野氏の菩提寺である本廣寺となっており、水野氏所縁の品を所蔵しているようです。ここはあくまでも菩提寺であって、お墓は別の場所にあるという珍しい形態をしています。
【アクセス】
新宮駅から徒歩15分程。
本廣寺に駐車場あり。
【写真】
①本廣寺外観
②説明板(本廣寺)
③説明板(新宮周防守屋敷跡)
④館跡を示す石碑
⑤本廣寺境内