沢辺館
沢辺館([津久毛橋城 周辺城郭])
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沢辺館の口コミ情報
2025年04月23日 国府左京大夫城介
二重堀切があった沢辺氏(二階堂氏)の居館
【歴史】
正治年間(1199~1201)頃に、葛西氏の家臣二階堂常信が館を築いたのが始まりである。その後、二階堂氏は沢辺氏と名乗るようになった。
室町時代になると、この地は大崎氏の領土となり、沢辺氏は霞館(一関市)、続いて文安5年(1488)頃に蒲沢館(一関市(旧花泉町))に移った。(この蒲沢館は千葉氏の居城とも言われており、はっきりしたことは分からない) 葛西氏が大崎氏から沢辺館を取り返したため、沢辺重光(12代目)の頃に再び城主となった。
天正18年(1590)の奥州仕置により、葛西氏は改易となり、沢辺氏もこの地を去った。葛西氏が去った後、伊達氏の領土となり、伊達氏に仕えた旧葛西氏の家臣であった小野寺氏の居城となり、小野寺道行、道重、道貞の三代が在城した。
別名:臥牛館
【遺構】
津久毛城から南東3.5kmに位置し、三迫川に接する丘陵(標高50m/比高30m)に築かれている。
説明板だと神社を主郭としているが、広さ的には浄水場があるあたりが主郭にあたると思われる。主郭の北側には櫓台に用いられたと思われる土壇がある。主郭下から北側に3段の曲輪があり、北端には切通状の通路がある。
神社がある高台は南側を守る櫓台で、周囲を土塁で囲んでいる。また、この更に南には二重堀切があったようだが、中学校造成により破壊されてしまったという。
【感想】
姫松館や鶴丸城に比べると、小規模な城で構造もかなりシンプルなお城です。北側の崖と三迫川に守られた典型的な後堅固な城ですが、城内にはほとんど土塁はなく、曲輪間の高低差を利用して守っているように見受けられます。また、開発で失われた二重堀切についての写真とかがないため、どのくらいの規模の堀切であったのか、結構気になっています。
アクセスもしやすく、公園として整備されているので、さくっと周れるので、時間があれば訪れてみてください。
【アクセス】
くりこま高原駅からレンタサイクルで、約40分。
駐車場あり。
【写真】
①神社がある櫓台
②櫓台の土塁
③主郭
④⑤曲輪の切岸
⑥城の北側を流れる三迫川
⑦説明板