古武之森城
古武之森城([安宅氏城館 周辺城郭])
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古武之森城の口コミ情報
2022年04月30日 イオ左衛門佐
古武之森城は、すさみ町境近くの古武之森と呼ばれる山の頂部に位置し、江戸期の軍記物「安宅一乱記」によれば、戦国中期の安宅氏の跡目争いにおいて阿波国から来援した小笠原右近太夫が守備した城とされますが、詳細は不明です。
安宅勝山城から五重堀切を越えて登城開始。下調べによれば尾根伝いに東から南東方向に行けば問題ない…はずでしたが、途中のピークでシダの藪に入り込んで方向感覚を失い、スマホの地形図アプリのお世話になって何とかたどり着きました。ただ、正しいルートには藪は無いので、藪に入りそうになったら立ち止まって確認すれば道に迷う心配はないかと思います。
安宅勝山城に続く北西尾根の主郭から少し離れた位置に堀切があります。堀切を越えて急斜面を登って行くと堀底を歩いているような感覚になり、見渡すと隣にも竪堀が並んで落ちていました。東端の竪堀は上端で横堀状になっていて、ずいぶん浅くなっていますが畝状空堀群のようです。続いて二条の堀切があり、さらに主郭の北下には石積みが施された腰曲輪も設けられていて、北西尾根方向への厳重な警戒ぶりが窺えます。主郭には巨岩が露頭している…ようですが、シダの藪に沈んでいて足を踏み入れられませんでした。主郭の南西下にも小さな曲輪があり、東側斜面に竪堀を落としています。小曲輪の先は南西方向に緩やかな尾根が続いており、途中の平坦地には投石用と思しき丸みのある礫石が散乱していました。
古武之森城は、北西側(安宅勝山城側)に防御施設を集中させる一方で、南西尾根は緩斜面ながらも防御施設はほとんど見られず、安宅勝山城でも東尾根(古武之森城側)に五重堀切を設けるなど、互いに警戒しあう造りになっていることから、安宅氏の内紛によるものか隣接する周参見氏によるものかはわかりませんが、安宅勝山城と対立する勢力による城であることを現地に立ってみて納得しました。
2021年10月07日 RED副将軍
安宅勝山城の五重堀切がある北尾根筋を比高100mほど登れば辿り着きます✨
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
詳細不明の山城です。
安宅氏の跡目争いによる内輪揉めに際して、阿波から小笠原右近大夫が来援して守備したと伝わっています。
急峻な安宅勝山城より更に比高があり、安宅勝山城の厳重な五重堀切が古武之森城に向けて構えられていることから、安宅氏と争っていた周参見氏の城であったとも見られています。
紀伊半島の先端に近く、安宅勝山城も登城は難易度高い部類です⚔
どうせなら、古武之森城も訪れてはいかがでしょうか。ここ単独ではなかなか来れません💦
見所
主郭の北側尾根筋は二重堀切で遮断。
主郭北側に僅かに石積みが残る。
主郭はシダに覆われ、巨石が顔を出す程度です。
2019年11月20日 内記かずりヾ(・ε・。)
古武之森城は安宅本城の南東約1.4km、標高301mの山塊山頂に主郭が存します。北麓からの比高は290m位でしょか。
行き方は同じ安宅氏城館のリア攻めマップにある安宅勝山城を参照して下さい。お城は安宅勝山城の五重堀切を越えて尾根伝いに20分位進むと辿り着きます。尾根上は藪もそんなに無く比較的楽に行けると思いますし現時点ではこのルートしか無いようなので安宅勝山城を訪ねたら是非こちらも一緒に見ておきたいところです。鬱蒼とした奥山に存していますのでこのお城だけの単独訪問は少し厳しい感じがします。
このお城は安宅一乱記に記述があり、その存在は知られていたものの何処にあるのか長い事判りませんでしたが、1977年に地元高校生4名によって発見されたというドラマチックな別の歴史があります。道なき道を進み4度目の探索で発見したそうでその苦労が偲ばれます。とても素敵なお話ですね。
お城は安宅勝山城に事実上隣接しており、元々安宅氏の城なのか、安宅氏の内紛の折に築かれた付城なのか、それとも安宅勝山城の詰城なのかは判らないところらしいです。安宅勝山城が五重の堀切まで造って尾根を断ち切り、このお城もそちら側に重きを置いている事から色んな想像が出来ると思います。ちなみに内紛の際には安宅勝山城は最後までしぶとく抵抗したとされています。
お城は堀切や竪堀が確認出来ます。畝状竪堀もあるらしいのですが自分には判りませんでした。また主郭には石積みがあるそうですがこちらも見付けられなかったです。主郭はシダシダしててシダックスでした。
全般的に色々甘いけどお城の雰囲気が十分に感じられてよかったです。紀伊の山の中に歴史と共に埋もれるところであったこのお城、発見した当時の地元高校生4名に敬意を表して訪ねてみては如何でしょうか。