龍王山城(南城)

龍王山城(南城)([龍王山城  周辺城郭])

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龍王山城(南城)の口コミ情報

2026年07月19日 ᴿᴱᴰ副将軍


有力国人である十市氏の本拠地であり、松永久秀の重要拠点であった巨大山城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。十市氏により築かれたとされ、南北朝時代の1483年以前に既に前身の砦の様なものが築かれていた可能性が指摘されています。
十市氏の出自ははっきりと分かっておらず諸説ありますが、十市郷から起った土豪であり、筒井氏、越智氏、箸尾氏、古市氏と並ぶ大和屈指の国人領主として勢力を拡大。南北朝時代は大乗院方の国民でありました。
1534年に十市遠忠が家督を承継すると、龍王山城を拠点に、大和に侵入した木沢長政と筒井順昭と激しく戦っています。木沢長政は河内国守護職の畠山氏の重臣であり、筒井順昭は義弟でありましたが畠山氏に与したため対立。
1536年、木沢長政は信貴山城を築いて拠点とすると、十市遠忠は龍王山北城を築いて対抗。
1542年に太平寺の戦いにおいて木沢長政が討死すると十市氏は勢力を拡大するも、1545年に十市遠忠が病死。十市遠勝が家督を継ぐも筒井氏の傘下に入ります。
1559年に松永久秀が大和に入り筒井氏とともに対抗。しかし松永久秀は大和の大半を支配下にすると十市氏も従います。
1567年、永禄の変の後に松永久秀と三好三人衆が対立すると筒井氏は三好三人衆と同盟を結びますが、十市氏は筒井氏派と松永氏派で家中で対立し謀反が起こります。
1568年、宇陀松山城より秋山直国が侵攻してきたため、十市遠勝は龍王山城を破棄して十市城へ退きます。
その後、龍王山城は秋山直国が支配しましたが、勢力を拡大した松永久秀の支配となります。
1577年、松永久秀が織田信長に謀反を起こし松永氏が滅亡すると、筒井順慶が大和を支配するようになり、1578年に織田信長の命により龍王山城は廃城となりました。

見所
標高585の龍王山山頂に築かれています。
北城と南城があり、その間は自然地形となり隔たりがあり一城別郭です。縄張りから南城の方が古く、北城は1536年頃に信貴山城を築いた木沢長政に対抗するため後から築かれたと考えられています。
山頂に主郭を置き、北西と東へ伸びた尾根に郭が連なる連郭式。
土塁が少なく高い切岸で防御といういわゆるストロングスタイルです。
主郭から北西に伸びる尾根には三段の郭群が連なり、横堀状の堀切を隔たて更に郭があります。
南尾根は主郭下に広めの郭があり、南側に土塁が付きその先は堀切となっています。
東尾根は堀切で区画された郭が二つ連なり、主郭側は弥七丸と名が付いています。
東端の郭から南へ回り込むと薄めの横堀状の地形があり桝形とされます。
西側の山腹には龍王社が祀られており水之手とされます。

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