貝那木山城

貝那木山城([岩掛城  周辺城郭])

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貝那木山城の口コミ情報

2024年04月10日 RED副将軍


石垣と畝状竪堀群が残存する多田氏の城跡🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

天文年間(1532年〜1555年)に多田延実により築かれたとされます。
多田氏は清和源氏の系譜とされ、源満仲が摂津国川辺郡多田に武士団を形成して多田氏を称したのが始まりとされます。
鎌倉時代には多田源氏の一族である多田経実が大和多田庄に移り、大和の国人として勢力を拡大。
吐山城の吐山氏と争う中で都祁郷一帯を制圧し、都祁郷を支配するために築いた城が貝那木山城とされます。
1580年に織田信長による破城令により廃城となりました。

見所
都祁盆地を一望できる標高597mの貝那木山に築かれています。
山頂部に主郭を置き、周囲に鉢巻状の腰郭を巡らせ、北側下に二郭を配します。また、西尾根に西出丸の郭群、南尾根に南出丸の郭群が連なります。
二郭には龍王社の奥院と多田一族の墓が祀られており、その参道により改変を受けています。
しかし、西出丸の南側虎口には石垣が残ります。また、その南下の帯郭西側に畝状竪堀が残っている様ですが、冬期でもヤブが繁り全く判別が出来ませんでした。
南尾根の郭群も明瞭に残っています。
改変と畝状竪堀群を覆うヤブが残念で★3としましたが、ポテンシャルのある山城と思います。

行き方は、西側麓の国道369号沿いにから林道が通り城域まで辿り着くことができます。
但し、林道は狭く急峻な上に荒れているので麓の邪魔にならないところに駐車し、歩いて登った方が無難です。比高は約120mで約20分くらいです。

写真
①西出丸虎口の石垣
②主郭虎口
③主郭の切岸
④二郭には多田氏の墓が祀られる
⑤⑥南尾根の郭群
⑦南尾根西側の石積み
⑧ヤブに埋もれた西出丸下の畝状竪堀群

2021年02月25日 課長大和守Ver.B


貝那木山城は天文年間に当時都祁地域を支配していた国人多田延実により築かれた城で、城内には多田氏の供養碑や後裔の方による城跡碑が建ち現在まで脈々と守り継がれていることを感じさせます。

城跡は名阪国道針インターから南の国道369号沿道なのですが、国道から城跡へ入るポイントが非常に解りづらいので別に登城口としてスポット設定しました(^^;
狭い急坂を上がって山際の突き当たりから九折の徒歩道で二の丸直下の姉妹堂というお堂に向かうルートと、突き当たり手前から更に急坂、狭小の林道で同じく姉妹堂前までクルマで乗り込む2つのルートがありますが途中落石、倒木等も見られましたので慎重な方は歩くルートが良いかもしれません。
駐車スペースはいずれの場所も1~2台程度です。

城跡は姉妹堂から更に上がって二の丸、本丸となりますが二の丸に多田氏の供養碑と龍王社がある他切り立った本丸に城跡碑があり都祁地域が一望出来ます。
遺構的には本丸に付帯する帯郭と姉妹堂から西側に延びる段郭群に若干の石積、切岸、土塁等見られましたがかなり藪化していました。
また林道に挟まれた南側斜面には連続畝状竪堀が残っているのですが、これまた笹藪が酷く明確に遺構確認しづらい状況でした(^^;
一方姉妹堂より南東側に延びる段郭と薄暗い谷を挟んだ別郭上には割と明確な土塁が見られましたがこちらのほうが藪も無く歩き易い状況でした。

整備されているのは本丸、二の丸までですが隅々まで散策すると色々な遺構が見られますので皆様もお近くに来られた際には是非(^^)

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