万歳平城

万歳平城([高田城  周辺城郭])

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万歳平城の口コミ情報

2023年03月03日 百済門徒衆修理大夫とら❖


万歳平城は、二上山南にある万歳山に築かれた万歳山城に対して、現在の大和高田市市場に万歳氏によって築かれた平城です。万歳氏は、興福寺一乗院の大荘園、平田庄の万歳郷を支配する国人です。

平安後期の東大寺文書によると、「対馬守」の官位を得て葛城郡に土地を所有しており、万歳氏の系図によると、古代の武内宿禰の後裔を称し、源頼朝に仕え治部少輔友直が万歳姓を名乗り始めたという。南北朝時代は南朝方であり、越智氏等と活動を共にする。応仁の乱では西軍として越智方に属し、文明7年(1475)筒井順尊が大軍を率いて万歳平城を攻撃するが、越智氏の加勢もあり逆に城から打って出て筒井方箸尾氏に大打撃を与え、大勝利した。その後も国中(くんなか。奈良盆地平野部のこと)制圧の重要拠点として攻防の的となった。天正6(1578)年織田信長の命で破却される。

城跡は現在、春日神社の境内を含む宅地となり、地割りによってしかたどれないが、『高田市史』に載せる古図によると、約50m×75mの長方形の主郭の4周に広い堀をめぐらし、四方に出郭を設けて、その西と南は二重の堀となっていた、大手は南面に開き、城下集落に市場を設営し、それが今日の地名の市場に残った。しかし、大和高田市の発掘調査報告書は、春日神社の東方、高田西中学校の後方にある名倉北池を万歳城址であったと報告している。 名倉北池と春日神社の間、住宅裏に一段高い竹藪があり、堀跡らしき水路もある。

周辺は道の狭い住宅地で駐車スペースはほぼ無い。近くにATMのみのJAバンクがある。

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