多羅尾代官陣屋
多羅尾代官陣屋([小川城 周辺城郭])
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多羅尾代官陣屋の口コミ情報
2022年02月04日 RED副将軍
江戸初期から幕末まで代々続いた多羅尾氏の居館兼代官所跡
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
多羅尾氏の居城、陣屋跡。
多羅尾氏は、1582年の本能寺の変の際、堺見物をしていた徳川家康が伊賀越えで三河に戻る際に手助けをした事で有名です。
1595年に豊臣秀次へ多羅尾光太の娘が嫁いでいたため、秀次の切腹に連座して改易。それまでの居城であった小川城は廃城となりました。
多羅尾氏はその後、徳川家康に仕え、1600年の関が原の戦い後、徳川家康より1500石を与えられます。
1638年に多羅尾光好は天領の代官として重用され、この地に築いたのが多羅尾代官陣屋です。
多羅尾氏の統治は明治まで世襲で続きました。
見所
江戸期の天領の代官陣屋であっただけに、上段、下段の曲輪に切り込みハギの石垣が施され、庭園跡も確認できます。
⚠️ 私有地で普段は立ち入り禁止で、一般公開は秋・春の期間限定です。
春は4月〜5月、秋は10月〜11月でした。
訪問前に確認しておいてください。
2020年11月01日 梅鉢近江守Silvine
多羅尾代官陣屋は信楽町多羅尾にあります。
多羅尾氏は当地を中心に信楽に勢力を持った土豪で、家康の伊賀越えに協力しました。豊臣政権下で秀次配下となり側室を送るなど勢力を拡大しましたが、その為に秀次事件に連座し改易される事となります。徳川政権となり、伊賀越えの功績として再びこの地に領地を与えられ、幕末まで治めました。
現在は石垣、庭園跡、井戸跡などが残り、5年ほど前から春(4〜5月)、秋(10月〜11月)に公開されています。