小倉山上城
小倉山上城([高野城 周辺城郭])
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小倉山上城の口コミ情報
2026年06月04日 ᴿᴱᴰ副将軍
小倉氏の庶流である小倉西家の居城🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。1499年頃に小倉賢治により築かれたと云われます。
小倉氏は、清和源氏満季流の高屋実遠の三男である小倉景実が愛知郡小椋庄に承暦年間(1077年~1081年)に小倉城を築いたのが始まりと伝わります。
小倉氏は愛知・神崎・蒲生三郡の東部に勢力を拡大。室町時代中期には小倉家は庶子家を分出し、小倉宗家は南の佐久良城、小倉西家は東にある小倉山上城、分家である小倉東家は小倉城を居城としました。
永禄年間(1558年~1570年)には、小倉庶子家と宗家との間に対立が生じ一族内で内乱が起こります。小倉山上城の小倉西家は用水の権利等をめぐり小倉宗家と対立し独立を目指します。
1563年には永源寺が対立する蒲生氏に力を貸したとして、小倉西家の小倉右京太夫は永源寺に攻め寄せ堂塔を焼き払っています。
更に延暦寺領山上郷の年貢を横領したとして、近江守護の六角義治は小倉宗家の小倉実隆に小倉右京大夫の討伐を命じます。しかし、小倉実隆は討死し小倉宗家は敗北。
その後、蒲生氏が介入し小倉西家に攻め入り、小倉右京大夫は討たれたとされます。
内紛により勢力を落とした小倉氏一族は各地に散逸したとされます。
見所
愛知川左岸の台地上に築かれた崖端城であり、伊勢に通じる八風街道を見下ろす交通の要衝。
現在は、安養寺境内や永源寺役場跡の消防倉庫・駐車場となっており遺構の大半は消失。
三方に堀が巡っていたとされ、安養寺の東側の道路は堀跡とされます。
安養寺の参道入口に城跡碑があります。









