肥田城

肥田城([目加田城  周辺城郭])

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肥田城の口コミ情報

2023年06月30日 RED副将軍


国内で初めて水攻めが行われたと伝わる城跡🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。大永年間(1521年〜1528年)に高野瀬隆重により築かれたとされます。
高野瀬氏は、佐々木六角氏の家臣であり高野瀬城を居城としていましたが、佐々木六角氏の命により新たに肥田城を築いて隆重・秀隆・秀純の三代が居城としたと云われます。
代々、佐々木六角氏に仕えていましたが恩賞が無いことで不満を抱いた様で、1559年に高野瀬秀隆は六角氏と対立する浅井長政に寝返ります。そのため佐々木六角氏が攻め寄せ、六角義賢は城の周囲に土塁を築き、宇曽川・愛知川から水を引き入れて肥田城を水攻めにしたとされ、記録に残る国内初の水攻めとされます。しかし、土塁が崩れたことと浅井氏の大軍の援軍により二度に渡る「肥田城の水攻め」「野良田表の合戦」は浅井氏の勝利となり、六角氏は勢力を失っていきます。
1573年に浅井氏が織田信長によって滅ぼされると高野瀬秀隆は柴田勝家に仕えましたが、1574年の越前一向一揆に敗れて自害。
その後は、蜂屋頼隆、長谷川秀一が城主となりましたが、長谷川秀一が文禄の役により朝鮮で病没すると肥田城は廃城となりました。

見所
かつては200m四方の方形の内郭があったとされますが、現在は耕作地と市街地となり消失。しかし、外郭の土塁が東から南東にかけて約200m残っています。

2021年02月27日 近江守Silvine


肥田城は彦根市肥田町にあり地域の土豪であった高野瀬氏の城と伝わります。この地域は長らく北の京極氏、南の六角氏との境目であり、六角氏が勢力を拡大した際に高野瀬氏もその麾下に入りますが、浅井長政が勢力を拡大するとこれに寝返りました。これに対し六角承禎は肥田城を水攻めしますが成功せず、浅井の援軍との野戦となります。野良田の戦いと呼ばれるこの戦いで浅井氏は勝利し、浅井氏の興隆と六角氏の衰退のきっかけとなりました。
平城だった肥田城は江戸時代に新田開発されたため、城の中心部には石碑と城にまつわる山王祠が残るのみですが、肥田集落周囲には土塁と堀跡が残っています。また城の北西、聖泉大学の裏手には水攻め跡の堤が残り、往時を偲ばせます。

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