須賀谷館

須賀谷館([小谷城  周辺城郭])

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須賀谷館の口コミ情報

2026年05月21日 I♡長浜釆女正佐吉。


全国52610万人の且元ファンのみなさん、こんばんは!(そんなにおらんやろという意見は甘んじて受け入れるわ)

今日は無事、エリ限三十五弾のスポットに選出された「須賀谷館」の口コミ。なんだけど、ぶっちゃけ以前書いた「片桐且元の里 須賀谷」の焼き増しよ(焼き増しとか完全に死語やろ…甘んじて受け入れるわ)
だって!写真を見て貰えばわかるけど、「且元の里」は須賀谷館を含めた須賀谷周辺の事だもん。それじゃ「且元の里」にある「須賀谷館」、レッツ遺構♪

お姉さん以前、丸子城のスポット「片桐且元夫妻の墓」の口コミを書いたのね。その時は方広寺鐘銘事件(家康が「あほたぁけ!鐘にワシを呪う文字が入っとるがや!」って文句付けたアレ)から豊臣家滅亡までを書いたの。今日はその片桐且元の出生地の口コミだよ。と言っても、この小谷で浅井長政から且元のお父さん(直貞)に宛てた書状について少し書くよ。

みんなも知っての通り、浅井長政は義理の兄である織田信長を裏切り、3年に渡って戦いを繰り広げたものの、じりじりと追い詰められ最期は小谷城で自害したの。

そんな長政が最期に出した書状と言われるのが、片桐孫右衛門尉直貞(且元お父さんね)に宛てた感状(感謝状ね)で、自害する前日に出されてる。その最期の感状の書き下し文が
「今度当城不慮に就き、此の丸一つ相残り候處、始末自余混えず籠城候ニおいて而、忠節を抽ぜられ候儀、比類なき御覚悟謝し難く候、殊に皆々抜け出で候處、無二の様子、申す次第を得ず、中々書中ニ申し及ばず候、恐々謹言」
この時点で小谷城は本丸のみになってたのがわかるわね。
沢山の家臣が浅井を裏切って抜け出した中で、片桐家は前日まで浅井方として戦い、その覚悟と忠義にどれだけ感謝してもしきれない。と記してる。

このような書状は、再仕官の時に履歴書として有効なんだって。あっちこっち転職ばかりしてる人(とうとう高くトライした人とか)より、長く勤めた人の方が忠義者っぽいじゃん。
同じく浅井氏家臣だった下坂氏にも長政からの宛行状が残ってて、下坂氏はひ孫に、宛行状の伝来まで語ったっていう下坂文書が残ってる。ひ孫に、武勇伝、武勇伝、武勇でんでんででんでん、かっきーん!を語るじいちゃん…。勇敢に戦った武士の証しとして子や孫に伝え、子孫も代々文書を大切に残してきたのね。
この辺りの話はほぼ「浅井長政と姉川合戦 太田浩司氏著」からの抜き出しだよ。浅井と姉川合戦を知るには最適な本だと思うわ。

17歳の頃に落城を経験した且元は、最期まで浅井氏に忠義を尽くした父を見て、何を感じたんだろう。父親のように主君に忠義を尽くそうと誓ったのか、それとも、反面教師として沈みゆく泥船からは早々に逃げ出すことを誓ったのか。
そして、同じ時に同じ場所で落城を経験した茶々。その小谷城攻撃の先鋒は秀吉。
時は経ち、大坂の陣では淀殿を残し豊臣家を出奔した且元。何が正しくて何が間違ってるとかではないけど、登場人物の心の内を考えると気持ちがぐるぐるしちゃうね。

ぐるぐるしちゃった気持ちは、梺の「須賀谷温泉」で洗い流しちゃうといいよ!「スガヤ」じゃなくて「スガタニ」だよ。 泉質はヒドロ炭酸鉄泉で、神経痛・筋肉痛・肩こり・冷え性・胃腸病・アトピー・疲労回復などに効果があるそうだよ。長政やお市も湯治に通ったんだって。混浴しちゃったり、したかもね~~妄想だよ〜〜♡

もちろんお姉さんも入ったよ。鉄を含んでるからお湯は赤茶色だったよ。あ~いいお湯だった~。さ、化粧水付けよ。鏡鏡、と。

…え、待って!ちょっと待って!
お市!?お市なの!?!?お市が降臨したわ!
お姉さん、お市のスガタニなっちゃった…。

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