沖島尾山城(ケンケン山)
沖島尾山城(ケンケン山)([沖島坊谷城 周辺城郭])
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沖島尾山城(ケンケン山)の口コミ情報
2026年03月10日 ᴿᴱᴰ副将軍
無数の段郭群が広がる湖上監視の拠点🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代や築城主等の詳細不詳。
琵琶湖上の水運監視等の目的で築城されたものと推定されており、奈良時代の和同開珎等が発見されていることからも古来から人々の沖島への往来はあった様です。
1156年の保元・平治の乱により、清和源氏の落武者7人が土着し、漁業を生業としたことが沖島の定住者の始まりとされ、現在の島民の祖とも云われます。
山麓にある西福寺は、落武者の1人である茶谷重右衛門の末裔が蓮如上人に帰依し開基とされます。
近江守護である六角氏に重要視され、湖上交通を支配するために利用し、室町幕府8代将軍である足利義政は湯谷ヶ谷(番所山)に島民に湖上を行き交う船の監視と取締りを命じたとされます。
その後も豊臣政権下まで機能していたと考えられています。
見所
沖島最高峰である尾山の西端に位置する支峰の標高210mのケンケン山(見景山)付近が城域とされ、お花見広場からホオジロ広場辺りが中核部であった様です。
南西麓の西福寺から尾根沿いに梯郭式に石垣が伴う小規模な段郭がびっしりと雛壇状に埋め尽くされています。東西400m、南北430mに渡る斜面に400を超える郭数です。近隣の水茎岡山城も同様の郭群が認められ、緩傾斜面に切岸を多用することで防御性を高めた考えられています。
下山時には沖島小学校に辿り着くルートを取りましたが、こちらには城郭遺構か分かりませんが立派な石垣が認められました。
沖島漁港がある東側から登り始めると沖島尾山城があり、更に尾根続きに西側へ進むと沖島坊谷城に辿り着きます。









