常楽寺城
常楽寺城([観音寺城 周辺城郭])
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常楽寺城の口コミ情報
2025年04月13日 ʀᴇᴅ副将軍
佐々木六角氏の重臣である木村氏の居城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。木村氏により築かれたとされます。
木村氏は近江国守護である佐々木六角氏の一族であり、佐々木盛綱の子である佐々木俊綱が木村荘を領して木村氏を称したのが始まりとされ、沙沙貴神社の神官も務めました。
その後、佐々木経方の子である木村定道がこの地を領し、木村氏は代々の居城としました。
六角氏に謀反を起こした伊庭貞隆は浅井氏を頼り江北へ逃れていましたが、1525年に六角定頼の江北出陣の留守を狙い観音寺城を攻めます。この時に常楽寺城も攻められ落城したとされます。
1568年、織田信長により六角義治が観音寺城から追われ衰退すると木村氏は織田信長に従い、木村次郎左衛門尉は安土の町奉行を務めています。
見所
常楽寺城は常楽寺港に隣接していたとされ、宅地や農地となり遺構は消失。常楽寺港跡である常浜公園に隣接する農地から発掘調査で溝跡が検出されています。
常楽寺港は、安土城から琵琶湖へ出るための重要な外港であり、常浜公園から南側の宅地に向かって残る水路が舟入跡とされます。
2023年07月30日 昌幸安芸守更に吉
近江八幡市にある常楽寺城。港湾を管理する城として、沙沙貴神社の神官だった木村氏が代々城主となりました。(観音寺城では埋門のある郭で有名です)元亀元年(1570)六角氏の滅亡とともにこの城も廃城となりました。ただし港としての機能は残したようで、合戦前に織田信長が何度か宿泊したり、坂本から佐和山への移動の際に明智光秀が寄港したなどの記述があります。(ちなみに港は昭和6年まで使われていました)織田氏に従った木村氏は馬廻衆となり、安土城の普請に関わりました。
畑と住宅地になっており城の全容は分かりませんが、発掘調査で主郭は堀があったそうです。港は常浜水辺公園として整備されており、雰囲気は味わえるかと思います。
【写真の説明】
①琵琶湖から常楽寺港への入口
②常楽寺港内
③舟入地1
④舟入地2
⑤後世の石垣。矢穴跡のある石は当時のものを再利用したと思いたい。
⑥主郭跡。
⑦常楽寺城から見える繖山(観音寺城)