大石東館
大石東館([関津城 周辺城郭])
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大石東館の口コミ情報
2024年11月15日 RED副将軍
大石内蔵助を輩出した大石氏の居館🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。大石氏に築かれたその居館です。
大石氏は古くは藤原鎌足の系譜で藤原秀郷の末裔とされます。近江国大石荘下司職を務めていた在地豪族でしたが、応仁の乱で討死したため嫡流は途絶えましたが、遠縁の小山氏が小山久朝を迎えて大石氏の名跡を継承し再興しました。
天文年間から永禄年間(1532年~1569年)には数家の分家を出して繁栄し大石党と称したとされます。
大石良信は近江八幡城の豊臣秀次に仕えましたが、1595年に豊臣秀次は粛正され自刃。大石良信も連座し浪人となりましたが、嫡男の大石良照が本貫地の大石本家を守り、次男の大石良勝が1604年に浅野長重に仕え大坂の陣で活躍し、後に筆頭家老となりました。
ちなみに大石良勝の孫が忠臣蔵で有名となった大石内蔵助良雄です。
見所
瀬田川に合流する大石川と信楽川の流域に広がる大石荘の中にあり、瀬田川東岸の浄土寺背後の妙見山麓に築かれています。
浄土寺の墓地を登り詰めると、当主であった大石良信ならびにその室志茂の墓等があります。⑦
その東側の削平地が館跡で、虎口や土台に石積みが確認できます。
更に背後の妙見山には山頂には詰め城である妙見山城がありますので併せての登城をオススメします。
周辺にもいくつか曲輪跡と思われる削平地が確認できますが、後世のものか判然としませんでした。
妙見山城へ登り始めると堀状の遺構がありますが、おそらく後世のものと思われます。⑤⑥
2020年09月22日 課長大和守Ver.B
忠臣蔵でお馴染みの大石内蔵助良雄を輩出した大石氏本家側の居館跡です。
現在は浄土寺の敷地となっており、門をくぐった本堂裏手から豊臣秀次配下であったという大石久右衛門良信他2名の墓所の右手にある数段の削平地が居館跡になります。
大石城のように立派な石碑が建っていたハズでしたが訪問時は根元から折れて横倒し状態でした(T_T)
目立つ遺構があるわけではありませんが気軽に立ち寄れますので大石城と併せて訪問されると良いと思います。