叶堂城
叶堂城([養宜館 周辺城郭])
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叶堂城の口コミ情報
2024年03月02日 ショウちゃん
1595年に志知城主の加藤嘉明が伊予国に転封になり、豊臣秀吉の直轄領となったため、石川紀伊守が派遣され叶堂城を築城。三原川の河口に築かれ、豊臣水軍の根拠地として機能。1600年の関ヶ原合戦において、石川紀伊守は西軍に与し敗走。叶堂城は廃城。1621年に蜂須賀氏の保護を受けて城跡に感応寺が再建されました。ナビだと表に着きますが、裏側の川沿いに行くと感応寺の駐車場があります🎵
2023年07月23日 織田上総介晃司
叶堂城跡に建立の松帆山感応寺境内の隅っこに停車。感応寺の移築の際に使用した叶堂城の石垣の一部と穴太衆の石垣が城の名残り。御朱印を集めている方には残念ですが、感応寺では御朱印はしてないとの事です。淡路島は玉ねぎの島。直売所で買うほうが大きくて量もありお得です。
2022年01月14日 RED副将軍
豊臣水軍の拠点であった城跡
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
1595年に志知城主の加藤嘉明が伊予国に転封になり、豊臣秀吉の直轄領となったため、石川紀伊守が派遣され叶堂城を築城。三原川の河口に築かれ、豊臣水軍の根拠地として機能。1600年の関ヶ原合戦において、石川紀伊守は西軍に与し敗走。叶堂城は廃城。1621年に蜂須賀氏の保護を受けて城跡に感応寺が再建されました。
見所
現在は感応寺の境内となっています。寺社移転の際に南面隅部と西面の石垣の一部を残して改修されたとのことです。
2020年07月28日 take
昔の叶堂城跡は御原橋の北詰付近にありその上に感応寺がありました。昭和59年の治水工事の時に、感応寺は現在の位置に移転。旧叶堂城跡は一部が残っています。
2016年05月30日 まるき〜陸中守
元々の城址に現在は感応寺(かんのうじ)が移転してきたそうです。お寺の住職さんに話を聞きました。
お寺自体大事にされていたわけでも無いらしく何度も住職が変わっているようで城に関する資料等も乏しいという事であまり詳しくは知らないとの事。
叶堂城は石川紀伊守が淡路の沖を通る海賊等を監視する目的で建築していたが石川氏は関ヶ原の合戦で西軍に属していたためその後に蜂須賀氏の所領になった事で廃城になり幻の城となったらしいです
取り壊した城の石を使ってお寺の一部と碑が建てられているのだが、それが穴太
衆によるものだとか…それ以外は遺構らしい物は見つけられませんでした。感応寺に3〜40台くらい車を置けるスペースがあり、住職に声を掛ければ駐車OK