淀山城
淀山城([籾井城 周辺城郭])
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淀山城の口コミ情報
2022年12月25日 RED副将軍
在地土豪である波々伯部氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。波々伯部(ほほかべ)氏によって築かれたその居城。
波々伯部氏は、源義家の系譜で平安時代末期に房光の代に篠山に入り地頭職に任じられたのが始まりとされます。南北朝時代には当主の波々伯部為光は足利尊氏の北朝方に付いて活躍し、 この頃に淀山城は築かれたと考えられています。
山名氏、細川氏に被官し当地で勢力を拡げていましたが、八上城の波多野氏が勢力を拡大するとその従臣となりました。
天正年間(1573年〜1592年)に織田信長による丹波攻めにおいて明智光秀により八上城が攻められると波々伯部光吉は落城前に八上城を脱し、その後に帰農し酒屋を開業したと云われます。
見所
八上城から東へ約5kmの比高50m程度の丘陵上に築かれています。
最大の見所は主郭東側の横堀から折れて連結する大規模な竪堀と思います。
主郭北側は二郭を堀切で区切り、主郭西側下には三日月状に横堀と土塁が確認できます。
二郭の北側先端も大規模な堀切で遮断されています。
行き方は、国道372号線より城域東側の溜池を目指します。駐車スペースは1台分あります。
2020年06月17日 【G6】OROKA参議
【L字形の横堀→竪堀が秀逸!】
淀山城は籾井城の西に位置する山城で、波々伯部氏の居城のようです。戦国期には八上城の波多野氏に従っていたようですが、明智光秀の丹波攻略の際に退散したとの事で…大河ドラマ出るかな?(笑)
アクセスとしては、国道372号線からため池の南東あたりから小道に入ります。(この角に小さい城の標識があったかと)
小道に入ってしばらく行くと車で進めなくなるので、そのあたりの空き地に駐車させてもらいました。(城用の駐車場ではないかも…)
そこからは徒歩でため池沿いに歩き、北西部を目指しましょう。登城口に城の縄張り図と案内板があります。ここからは登り10分ほどで城に着きます。
遺構としては、段郭が明瞭で切岸も鮮やかで見応えがあります。しかし、何と言っても見所は横堀から竪堀へと変化するL字形の遺構でしょう。(写真5つ目)
横堀の堀底を歩いていると強制的に進路を曲げられ、竪堀に落とされます(笑)いや、攻め手からすると竪堀を登った先で横堀の底に誘導されて上から狙い撃ちされるんでしょう。何にせよ面白い遺構です。
規模はそこまで大きくありませんが、ザ・地方豪族の山城という雰囲気と明瞭な遺構が楽しめます。登りも少ないですし、適度に整備されてますし、オススメですよ~(*^-^)