高生田城
高生田城([糸井陣屋 周辺城郭])
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高生田城の口コミ情報
2024年07月05日 RED副将軍
高く鋭い切岸が見事な福富氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。福富氏により築かれたとされます。
福富氏は但馬国守護である山名氏の家臣とされ、南北朝時代の1378年にこの地に入部したとされます。
城主の名に福富六郎兵衛忠順、福富加賀守、福富左衛門次郎貞数、福富六郎兵衛貞恒の名が伝わり、1554年に福富七郎右衛門は、竹田城の太田垣土佐守と領地境界争いをしたと記録が残ります。
1577年の羽柴秀長による第一次但馬攻めで落城したと云われます。
見所
円山川支流である糸井川右岸の標高222mの山塊頂部に築かれています。
山頂に主郭を置き、主郭は北から東にかけて土塁が巡り、南東に虎口が開口。虎口は折れを伴うスロープ状の通路を経て南東下の腰郭に繋がりますがスロープの北側に大規模な竪堀を設けて側面への移動は制限されています。
南東下の腰郭から東へ伸びた尾根は堀切で遮断され、その先にも小郭群が続きます。
登城路である南西に伸びる尾根には三段の郭が連なり、ここも見事な切岸で固められています。
主郭の北側背後が最大の見所で大堀切で遮断。素晴らしい堀切ですが、主郭周辺の高く鋭い切岸が堀切を際立たせており、美しい切岸こそが高生田城の特徴です。
行き方は、糸井小学校を目標に設定。県道10号沿いに旧校舎に駐車させてもらいました。県道沿いに案内板が設置されており案内通りに進めば辿り着きます。比高は約130mです。
2022年09月26日 tracer_azu
標高222mの山頂に所在。山名氏の家臣の福富氏の居城であったとされています。築城は南北朝期とされ、羽柴秀長の第一次但馬攻めまで続きその際に落城されたとしています。
コンパクトでありながら遺構の土木量は圧倒的で特筆するべきは主郭背後東側の大堀切とその切岸の高低差は壮観です。
また主郭より東側の帯曲輪下には4条の竪堀うち2条は堀切からV字に落ちる竪堀となりそこに横矢がかかるように曲輪が設けられています。
またV字の竪堀を挟むように段曲輪が7段ありその段曲輪は南北朝期のものとされているようです。