瀬加山城
瀬加山城([恒屋城 周辺城郭])
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瀬加山城の口コミ情報
2024年10月26日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
兵庫県の神崎郡市川町上瀬加にある【瀬加山城 】♪市川町のやや奥まった場所にある上瀬加集落。上瀬加集落の北側、標高200mに城郭は存在します♪山陽と山陰を結ぶ幹線道の1つ但馬街道からは、やや東側に立地し、周辺には川辺城や深山城などが点在します♪南西側にある釜坂峠の守りの城と言った印象です♪
この瀬加山城は嘉吉年間頃(1441年~1443年)より築城されたと伝わります♪赤松氏の一族・太田道祖が居城とした瀬加城は、(麓からの高さ)約100m程の比高となります♪
城主は太田道祖とその子、太田源太夫が伝わります♪
小規模な山城ではありますが、山頂には段郭や堀切、畝状堅堀の跡が残ります♪正に釜坂峠を監視する城郭と行った砦の様な性格を持ちます♪落城の際には城主以下僅か70 名で討ち死に覚悟で敵陣に飛 び込んでいった勇姿が伝えられています。
こちらも、歴史が残っていない為、細かな詳細は分かりませんが、近隣の小谷城同様に戦国時代末期の顔をしています♪小規模ながら畝状竪堀群は毛利方の影響ある城郭だったのか?という印象を持ちます♪逆に、この付近で土塁囲みの城郭を見ると秀吉が播磨侵攻をした際の陣城か?という印象を持ちます♪
付近の大きな出来事としては、天正4年(1576年)に最後の室町幕府将軍である足利義昭が毛利氏を頼って備後国の鞆の浦に下向すると毛利氏VS織田氏との対立は決定的となります。天正5年(1577年)織田信長の命を受けた織田氏の重臣・羽柴秀吉率いる中国遠征軍が播磨国に侵攻しています。毛利軍はこれを迎撃しています。毛利軍は天正6年(1578年)尼子勝久や山中幸盛が籠る上月城を攻撃し尼子勝久らは降伏し自刃しています。。この際に山中幸盛も処刑され尼子再興軍の動きを止めています(上月城の戦い)。こういった流れの中で、その後も毛利軍は織田軍と各地で戦い続けるも天正8年(1580年)三木城(三木の干殺し)が落城し城主の別所長治は自害します。更には備前国の宇喜多直家、伯耆国の南条元続が織田家に与していき、豊後国からは大友宗麟が織田信長と呼応して毛利領に侵攻していきました…。。天正9年(1581年)因幡国の鳥取城では吉川一族の吉川経家が自刃するなど毛利家は次第に劣勢となり、(備中高松城の戦い)へと駒を進めていく訳です。瀬加山城も、毛利軍の上月城攻めの際に、釜坂峠を監視する為の改修を行ったんでは無いか?と思いました♪
羽柴秀吉による播磨攻略の際に築いた土塁囲みの特徴がある城郭に畝状竪堀群を築き、城郭を防御する毛利方の特徴がある城郭。2つの特徴を持った城郭の入り乱れ♪凄く面白いですね♪
2023年04月26日 RED副将軍
小規模ながらも堀切と畝状竪堀が良好に残る太田氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
嘉吉年間(1441年〜1444年)に赤松氏一族の太田氏により築城。
戦国時代の城主は太田道祖とその子である源太夫が伝わります。
1578年、織田信長による播磨攻めにおいて羽柴秀吉の軍勢により落城したとされます。
見所
岡部川北岸の南へ張り出した山陵に築かれています。
山頂の主郭から南へ二郭、三郭が連なる連郭式でそれぞれの郭は堀切で遮断されています。
特に主郭背後の堀切は深く見応えあります。
もうひとつの見所は主郭東下の畝状竪堀でしょうか。明瞭に残っており、こちらも見応え充分です。
小規模ながらも遺構の残存度が高く、よく整備もされており気軽に登れるオススメ物件です。
行き方は、上瀬加生活改善センターを目標に設定。ここが登城用の駐車場であり案内版もあります。登城路は整備されており15分くらいで辿り着きました。
2020年04月14日 ソバッソ80.0
上瀬加公民館を目標に設定。そちらに駐車させて頂きました。簡素化された概念図がありますので、参考にしてそのまま北上して城山に取り付いて下さい。整備されているので、迷わずに散策出来ます。
ちなみに、西側の山には川辺城跡ってのがあります。僕は未踏派です。どなたか登られた方がおられましたら、ぜひ情報を出して下さい。
嘉吉年間に築城されたらしく、まぁ古い。
ほんでだいたい播磨の中世城郭は赤松円心が絡んどる。謂れは、市川町観光協会さんのホームページにさらっと載ってますので、ご興味あればご覧下さい。
15分程度登ればツツジがたっぷり植えられたⅢ郭、Ⅱ郭が出てきます。春はハチだらけです。
頑張って突っこんで下さい。
主郭に縄張り図が載った看板があります。なんで縄張り図はだいたい主郭なんでしょう。麓に欲しい今日この頃。
特筆すべきは主郭北側の大堀切、からの竪堀
そして帯郭から延びる数条の畝状竪堀です。
コンパクトなクセにメチャクチャ詰め込んでいます。畝状竪堀は、ルートを外れると下から見上げる事も可能ですが、、、そこまで明確ではないので上から見下ろして満足すべしです。
下山後は、麓にジェラート屋さんがありますので、ペットのヤギに癒やされながら糖分補給されてはいかがでしょうか。