鳳張古墳群
鳳張古墳群([白旗城 寺社・史跡])
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鳳張古墳群の口コミ情報
2020年11月27日 内記かずりヾ(・ε・。)
鳳張古墳群は白旗城の南西約5.7km、同じ白旗城のリア攻めマップにある西方寺陣の東側、川跡?を挟んだ谷間の平場に存します。いきなり西播磨の情報が少ない場所に飛び込んでしまい自分も錯綜してしまいましたが、この古墳群東側の山塊にも鳳張陣(未見っす。)という陣城?があるらしく両者を混同してしまいました。ただ西方寺陣もそうですが、恐らく鳳張陣も大きな軍勢を収容するのはとても無理な感じですので、実際の陣跡はこの古墳群に設けられたと思います。又、西方寺陣の口コミで秀吉が陣を敷いたと書き込みしてしまいましたが、誰の陣だったかは不明としたいと思います。答えは永遠に出ないと思いますしね。そう!ネットだけですがちょと勉強したのw
この古墳群には3つの古墳があるんすけど、古墳自体も墳丘がしっかり残ってて、内部の石室もよく保存されてます。ただこの古墳群の周辺には明らかに古墳の成立とは関係を無にする土塁や空堀が残っていて陣跡であった事が簡単に想像出来ます。平場の面積は相当に広く三千位の軍勢なら楽に収容出来そう。また平場の西側の川跡?は後世の改変かもしれませんが、明らかに人工的に手が加えられていてまるで空堀の様に存しています。又、この平場の南端にはかなりの大きさの空堀様地形があり、高さもある(でも薄い。)土塁様地形で谷間を大きく遮断しています。これを何かの遺構と見るのかは早計でしょうが、とても自然地形とは考え難いので是非皆様の心眼で確かめてみて下さいまし。
この古墳群の南方には中世山陽道が走り、付近一帯は必争の地でもあったと思います。一時期は宇喜多、毛利vs羽柴の最前線でもあった訳ですし、その後の宇喜多騒動なんかも視野に入れておくべきなのかな?又、赤松の時代まで遡れば更に謎は混迷を深めます。深い歴史に感嘆することしかり…こうして答えを求めようとする変態が誕生する訳ですな。