野間山城
野間山城([光明寺城 周辺城郭])
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野間山城の口コミ情報
2024年04月15日 tracer_azu
在田氏の城で在田氏は赤松氏の庶流です。本城は川を挟んで対岸の光竜寺城で、こちらは詰城だったようです。
少し登るお城ですが、西側の岩盤堀切は圧巻でした♪堀切より南に少し先には出丸もあり、スリリングな道となってますが眺望が効くので行ってみる価値ありです。
2023年05月25日 RED副将軍
西尾根の巨大堀切が見事な赤松氏一族である在田氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
1362年に在田則康により築城。在田氏は、播磨国守護である赤松氏の庶流であり、五代当主である赤松範資の子の赤松朝範を祖とします。在田村長の頃に本拠地とし改修をしましたが、享禄年間(1528年~1532年)に浦上村宗に攻められ落城。一時は浦上氏の支配となるも、1531年に浦上村宗は細川晴元や三好元長との戦いで討死したため、在田氏が野間山城に復帰しました。1575年、但馬八木城の別所重棟が侵攻し落城。別所氏の所領となり、家臣の中野間正広が中野間城に在城したとされ、この中野間城が野間山城と考えられています。
見所
野間川右岸の標高323mの山頂に築かれており、北から東へ伸びた尾根上の主郭部と、南尾根に築かれた出丸部で構成されています。主郭部は、直線の尾根筋に郭が連なる連郭式。南側面に石垣と犬走りが認められ、東端と西端南側、西尾根は堀切で遮断されています。特に西尾根の岩盤を削った二重堀切はかなり大規模なもの。東端の堀切は整備された登山道であることに対し、西尾根の大堀切は未整備な上に斜度がキツく、足場は非常に悪いので到達には苦労します。南尾根の出丸部は、鞍部の郭から南へ岩盤の痩せ尾根を渡り、南峰のピークに出丸が中心となり周囲に腰郭群が設けられています。但し、針葉樹でヤブ化してました。また、主郭部と出丸部の間の鞍部から谷筋に沿って大手道があるらしいですが、迷いそうな上によく分からなかったので見送りとしました。
行き方は、県道143号沿いで城域北東部の野間川の東詰めに登り口があります。案内板が建てられ、対岸に広い駐車スペースもあります。整備された登山道があり、比高は200m程度。30分くらいで主郭に辿り着きます。