山下城
山下城([善防山城 周辺城郭])
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山下城の口コミ情報
2024年10月27日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
兵庫県の加西市山下町にある【山下城 】♪常行院の南東の丘陵に城郭は存在します♪山下町と西剣坂町の山間部の間を縫う様に、小さな盆地が広がります♪この北側の丘陵地を城山と呼びます♪西に向かえば、但馬街道。東側に向かえば、加古川や三木、小野と盆地が大きく広がる場所で、やはりこの辺りにも多くの城郭が乱立しています♪
山下城の築城の詳細は不明ですが、赤松則祐の家臣であった浦上七郎兵衛行景の居城と云われています♪観応2年(1351年)、光明寺合戦の際、赤松則祐に従って赤松直義の軍と戦ったと云われています。
永禄9年(1566年)頃に、別所氏の兵站拠点基地として改修され、天正6年(1578年)まで機能していたものと考えられています。
天正6年(1578年)からの三木合戦では、城主・浦上久松は兵を伴い三木城へ籠城して羽柴勢と戦いました。この戦は三木の干殺しとも呼ばれ、織田軍の羽柴秀吉が兵糧攻めを行った事で有名で、天正8年(1580年)まで続きました。山下城主の浦上久松は『別所家無二の与力』であり、家臣でありました。この三木合戦後、山下城は廃城となったと伝わります。
主郭と西主郭があるのですが、赤松氏の特徴である、どっちが主郭?か分かりづらいです。
やや、主郭と描かれている場所の方が標高が高い為、こちら側とは思いますが、求心性のなさは赤松氏独特です♪これは、置塩城や中道子山城などにも見られる、赤松氏の城郭にあるあるな築城方法です。主郭を判断する時は、その高さ(独立性)や防御網(土塁や虎口や堀切や畝堀や土橋などなど)を見ます♪赤松氏は郭の付き方や大きさ等、フラットで判断が付きにくい事がありますが、山下城は紛れも無く、赤松氏系の城郭なのでありました♪
2020年04月26日 ソバッソ80.0
常行院さんを目標に設定。
駐車場が目の前にあるのでそちらに駐車。
遊歩道を進むと、急に犬小屋やら畑やらが出てきて、思いっ切り人の土地って感じになります。
ハイキングコースみたいになっているので多分問題ないんやと思いますが、念の為人に遭われたら一声かけた方が無難でしょう。
駐車場から5分程度で、それらしき平坦地が出てきます。防御設備もとい政務所と表記の場所ですわ。
あとは登り口があるので登ってくれはったら、堀切(表記やけど谷筋にも思えます)に沿って上に登ればそのうち主郭です。概念図がここにあります。
そっから竹やぶ方面に進むもよし、竪堀表記のヤブい斜面を散策するもよし。竪堀は視認出来ませんでしたが。
僕は遊歩道から入って、大手口に抜けていく形で散策。大手口は思いっ切り民家がすぐ隣にありますので、写真撮影はかなり憚られます。
良識の範囲内で散策をお楽しみ下さい。
赤松さんの家臣、浦上さんの支流が入ったお城だとか、その後は別所さん(ハムの人じゃない方)が入っただとか書いてあります。
てか支流とか書いたら、無限に広がっていきますやん。と、中世は親戚多いしややこいねぇーなんて思って書いてみました。