中島館
中島館([坂元城 周辺城郭])
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中島館の口コミ情報
2026年02月28日 さよなら式部少輔急行津軽
国道6号沿いのため、駐車場所に苦労します。(利用しないのに)リサイクルショップに停めるのは気が引け、コンビニの駐車場は狭く、宮城病院は土日外来休業であったため、少し遠く(800メートル位)の町民体育館に停めました。ただ、宮城病院は業者の方の出入りがあったり、駐車場もガラガラだったので、停めても大丈夫だったかもしれません。
途中、合戦原遺跡の標柱(1枚目)がありました。後で調べた所、復興住宅建設時に発掘された平安時代までの古墳群を一部残した上で、公園化したもののようです。公園からは中島館には行けなかったので、国道6号に戻り先に進みました。
中島館跡の標柱(2枚目)があり、登城します。
特に道標はありません(7枚目)が、本丸跡(3枚目 本丸跡への道)までは迷うことなく行けます。多少、倒木や倒竹はありますが、歩けないほどではありません。
本丸跡はそこそこスペースがあり、説明板(4枚目、5枚目)があります。本丸跡の西側にも曲輪跡(6枚目)があリました。
2025年11月01日 くろちび上野介
中島館のある亘理は日本武尊が下った地として日本書紀巻7にでてくる。蝦夷が多く住む土地で、大和朝廷の東北制圧のために度々戦が繰り広げられた。中島館のある山元町には古城館が11、その多くが築城年、築城者不明、あるいは風土記に野武士が居住とある。中島館も明治頃は雑木山で国道(6号線)建設で山が南北二つに切断されてしまったそうだ。だから今も国道沿いに唐突に現れる標柱を目印に土手を上がる形で館に登城することになる。
国立宮城病院を右手に見て岩沼-仙台方面100m程歩く。宮城病院へは坂元駅から町民巡回バスがでている。
妙に平凡な名前と変に行きにくい場所のせいか訪問者は多くないようだが、いくつもの土塁、犬走、切岸があり、熊に出会う心配も不要で心おきなく山城を楽しめる。
館の主人は亘理権太夫-藤原経清。後三年の役で陸奥国六郡を平定、奥州平泉に中尊寺を建立、平泉文化の基礎を築いた藤原清衡の父。経清の父頼遠は下総で生まれ、陸奥多賀国府の官人を経て亘理に荘園を開いた豪族。
経清は、内地の人に同化した蝦夷俘囚の長で朝廷から地方政治を任されていた陸奥六郡の司の安倍頼良(後に鎮守府長官に遠慮して頼時に改名)の娘と結婚。安倍頼良の陸奥支配力が強くなり、朝廷への献納が滞るようになると、陸奥六郡の支配を狙っていた朝廷側と衝突するようになる。1056年朝廷から安倍頼良追討の宣旨が下る。この戦いで経清は捕縛され、斬首される。
経清の息子の清衡だが、母が経清亡き後、安倍頼良追討(蝦夷追討)で源頼義と共に戦った論功行賞で従五位上鎮守府将軍になった出羽の豪族清原武則の子武貞と再婚したことで無事であった。因みに清原氏も俘囚である。後に清衡の義理の弟になる家衡が生まれるが、1086年清原一族の内紛がこの兄弟の土地争いに発展、清衡が勝利し、滅亡することになる清原氏の全所領を獲得する。(前三年の役)
亘理権太夫経清は亘理に来てから亘理姓を名乗っている。権太夫の太夫は五位の官位。権は定員外の意味で、実際にこの官職についていたかは不明だそうだ。亘理小史は清衡が京都の藤原氏に荘園を献じて藤原姓をもらった可能性を挙げている。似たような話が奥州平泉黄金の世紀-とんぼの本(新潮社)にある。夜9時頃、京の藤原師通の屋敷に父師実の使者盛長朝臣が訪れ、陸奥の清衡という者が馬二匹を献上してきたこと、陸奥出羽の土地の荘園寄進状と押領使任命の嘆願書を持ってきたことを告げる。馬を献上することを貢馬といい、臣礼の意味があるそう。後の藤原文化の財政基盤は馬と金なので、馬はたいそう貴重な贈り物であっただろう。藤原姓を名乗るのは奥州経営上必要だったのだろうが、清衡自身は自身が蝦夷であることを強く意識していたのだろう。中尊寺落成供養を行う願文に自分は俵藤太や鎌足の末孫ではない、弟子者東夷之遠曾也、と記述しているという。
2024年09月30日 駄目太政大臣政宗
史跡標示柱の前を通るたびに気になっていた場所にやっと登れました。登り始めて5分位で主郭に到着。車を停める場所は無いけれども、攻めやすい館跡でした。
2021年01月17日 kurobuta
宮城と福島の県境の山元町の国道6号沿いにあります。6号の上り側に一台分の駐車スペースがあります🚗館跡の柱がありますので、そこから🚶♂️で登れます。
歩いて10分掛からずに主郭跡に到着できます。ここには説明板があります。広さは30坪ほどでしょうか?砦としては小さい感じですし居館としてはかなりの規模と思えます。街道のすぐ隣りなので関所も兼ねていたのではないかと推測します。簡単に登れますから気軽に訪問可能です🙆♂️
2020年12月11日 まあ陸前守
諸説ある様ですが藤原経清の居館だと言われています。前九年の役で安倍氏と戦った人物で奥州藤原氏初代清衡の実父です。土塁、曲輪が残っていました。国道6号沿いにありますが駐車スペースは無いので注意下さい。









