一庫城
一庫城([山下城 周辺城郭])
山下城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「一庫城」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
一庫城の口コミ情報
2024年08月17日 RED副将軍
塩川氏の本拠地である山下城の出城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。山下城とは二山一城とされ出城の位置付けであったとされます。
1568年に織田信長に従い本領を安堵されており、その後に塩川国満の子である塩川長満が築いたとも云われます。
塩川氏は、本能寺の変で織田信長が没すると羽柴秀吉に従い山崎の戦いにも参陣しています。
しかし1584年に能勢氏との領土争いが再燃。1586年に塩川国満は能勢氏の地黄城を攻め落とします。しかし、既に豊臣秀吉が畿内を統一しており、勝手に戦を仕掛けた塩川国満に対して激怒。池田輝政らに討滅を命じ山下城を包囲させると、塩川国満は山下城を開城し自刃したとされ、山下城とともに廃城となりました。
見所
山下城がある古城山とは北に谷を挟んだ標高178mの向山に築かれており、山下城は本城で一庫城は出城であるとされます。
山下城は尾根上の段郭が主体であるのに対して、一庫城は単郭で周囲に折れの伴う土塁と空堀を巡らせる全く異なる縄張りです。
主郭の南に虎口が開口し、東と北の尾根は堀切で区切られています。
一番の見所は西側の空堀であり、鈎状に屈折し張り出した郭が横矢掛かりとなっています。
2023年10月11日 tracer_azu
獅子山ノ城、一庫城、山下向山城などとも言われていますが、表記どおりここでは一庫城とします。
一庫城の西、トンネル脇のフェンスより直登するとすぐに辿り着けます。築城者は恐らく塩川長満で織田勢力に与してからの築城もしくは改修があったものと思われます。 塩川氏は能勢氏と北摂では二大勢力として君臨しておりまた、多田源氏の流れの血筋です。
一庫城は単郭の城ですが、オレのある横堀に土塁があり戦国期後期のお城の遺構の雰囲気があります。 塩川長満の娘の寿々姫は織田信忠の側室で、織田秀信の母との説があります。
2023年05月30日 生駒讃岐守江現蔵✿
一庫城と書いて、ひとくら城と読みます。一庫ダムの近くにある摂津山下城の出城で、山下古城とも言いますが、アプリ登録の山下城の周辺城郭で、一庫城で登録されていたので、このまま使用します。
本城の標高184mの古城山に築かれている山下城から縦走して、北に谷を挟んだ向山に築かれています。築城年代は不明ですが、摂津の有力国人の塩川氏の築城と言われています。
5月の蒸し暑くなってきた午後、阿波と土佐の城友さんと、お昼にニンニクラーメンを食べて体力回復。山下城を訪城後に一庫城に向かうルートです。
先に訪れた山下城ですが、登る山を間違えていて、下山せずに横移動して45度の斜面を登って城域に到着したので体力消耗。山下城から20分ほど山道を進むと、土橋があり、城域に到着です。
単郭の城ですが、周囲に土塁を巡らせ、南に虎口があり、堀切もあります。この城の1番の見所は横堀で、途中で屈折していて横矢を掛ける構造となっています。ワンルームマンションのような縄張り図ですが、土塁が所々出っ張っていて、櫓台があったのかも?と想像出来ます。
30分ほどゆっくり探索した後、山下城に引き返して帰ると言っていた城友さんが、予定を変更して、ここから下山すると!
私はいつも付いていくのみなので、最後は滑りながら降りて、こんな所から人が出てくるはずないでしょうと思われるフェンスの横から地上に到着。
山の中はぐるっと周って遠かったのに、地上に降りると出発地点まで近かった案件でした。
暑くなってきて山城シーズンも終了。次回また秋に城友さん達と摂津の城をリアしたいと思います。