市野瀬城

市野瀬城([茶臼山城  周辺城郭])

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市野瀬城の口コミ情報

2026年06月27日 ᴿᴱᴰ副将軍


三木合戦で別所方として参戦した市野瀬氏の居城

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。在地土豪である市野瀬氏の居城と云われています。
1303年に吉川上荘を領した小野氏(後の藤田氏)の一族である小野真行(一ノ瀬右衛門三郎)が石峰寺へ田畑を寄進している記録があり、小野真行が一ノ瀬氏を名乗っているので市野瀬を領していたと考えられています。
藤田広興が城主である毘沙門城から南へ約900mに位置し、淡河方面に備えて築かれた支城として機能したと考えられており、藤田玄門の居城であったとも伝わります。
1578年、羽柴秀吉による三木城攻めにおいて、藤田氏は三木城の別所長治方として参戦。
別所長治は三木城に籠城しますが、羽柴秀吉は周囲の支城から落として三木城を孤立無援にし、付城を築いて毛利氏からの補給路を断ちます。
三木合戦の兵糧輸送路の攻防のひとつである大村坂の戦いにおいて、羽柴秀吉方の将である谷大膳は補給路を断つために平田山に陣を構えます。
別所・毛利連合軍の夜襲により谷大膳は討死しますが、羽柴秀吉方の援軍により別所・毛利連合軍は惨敗。藤田氏も討死したとされ、城址にある墓碑に 「市野瀬殿 天正7年9月10日」と刻まれています。

見所
美嚢川(大沢川)の支流の吉川川西岸にある低丘陵上に築かれています。
小規模な城郭であった様ですが、改変を大きく受けており、主郭内部も溜池の堤防を造成する際の採土により削られています。
主郭西側は櫓台とされ墓碑が祀られており、その先堀切で遮断されています。
東側は小規模な段郭が連なり、東から南にかけて空堀が巡っていた様です。

行き方は、三木市立東吉川小学校跡を目標に設定。溜池の北側丘陵が城跡です。

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