東光寺

東光寺([湯原館  寺社・史跡])

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東光寺の口コミ情報

2019年09月25日 野呂利左衛門督休三


寺の前の由緒書の看板だと九世政宗(法名は東光寺殿儀山円孝大居士)を開基に、九皐宥鶴が開いたとされます。元は米沢の東寺町にあったのが、湯原駅口玉木原を経て、慶長七(1602)年にここに遷されたとされます。

本殿は昭和二十八(1953)年に火災で失われています。薬医門、切妻造、茅葺き仕立ての山門は江戸時代中期に建てられたもので、町の指定文化財になっています。
伊達政宗(九代)の墓は本堂の左手の墓石群の中に正室の輪王寺殿の墓と並んでいます。

伊達政宗(九代)は出羽の長井郡や置賜郡への進出を進めました。鎌倉公方の南奥政策と対立し、討伐も受けています。
輪王寺殿は足利義満の母の妹です。
伊達政宗(九代)は応永十二(1405)年に、輪王寺殿は嘉吉二(1442)年に亡くなったとされています。

ちなみに九皐宥鶴は山形県川西町と宮城県東和町の東陽寺によれば、同寺を応仁二(1468)年に再興したとされます。これからすると米沢での東光寺は再興か(九代政宗時代は米沢でなく高畠が出羽での本拠)、開基を政宗の名義にして開いた(そうすると実際の開基は輪王寺殿か息子の氏宗あたり)のでしょうか?

蛇足ですが2つの東陽寺は元々は一つの寺です。伊達家重臣の原田家の菩提寺として川西町に創建され、伊達家転封により原田家と共に船岡にも建てられ、原田家が伊達騒動で取潰されると(つまり原田宗時や原田甲斐の原田家)、船岡の領主になった柴田家の故地の米山(東和町の方の現在地)に移されています。

[参考]
由緒書説明板
七ヶ宿町観光サイト
・東光寺
・東光寺山門
宮城県の町並みと歴史建築「七ヶ宿町: 東光寺」
曹洞宗宮城県宗務所十四教区「亀松山東陽寺」
全国観るなび「山形県川西町 東陽寺」
(由緒書以外はインターネット)

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