塙団右衛門直之の墓
塙団右衛門直之の墓([吉見陣屋 碑・説明板])
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塙団右衛門直之の墓の口コミ情報
2026年05月16日 romikun
現地掲示板転記
塙 団右衛門の五輪塔
(ばん だんえもん の ごりんとう)
慶長20年(1615)の豊臣方と徳川方が戦った大坂夏の陣の樫井合戦で討死にした塙 団右衛門直之の五輪塔である。
団右衛門は尾張国羽栗(はぐり)の人で加藤嘉明に仕え、朝鮮の役で軍功をあげ、名を知られたが、関ヶ原の戦い(1600年)以後浪人して僧となり鉄牛(てつぎゅう)と号した。
大坂冬の陣(1614年)が起きると豊臣方に属し、大坂城に入城した。慶長20年4月、夏の陣がおこると、豊臣方は徳川方の紀州和歌山城主浅野長晟(ながあきら)の軍と戦うべく泉州に進んだ。団右衛門は先鋒隊をひきいて4月29日早朝、熊野街道を南下し、待ち構える浅野軍に突入した。安松、岡本、樫井で激戦が展開されたが、大坂方は敗れ、団右衛門はこの地で討死にした。ときに48歳という。
団右衛門を討ったのは上田宗箇(そうこ)、亀田大隅(おおすみ)あるいは八木新左衛門などの説があり一定しない。
五輪塔は寛永8年(1631)に紀州の士小笠原作右衛門が造立し、石灯籠は八木新左衛門の孫が奉納した。
250回忌(1868)には団右衛門の子孫の櫻井氏が補修し周囲を整え、当地の観音寺に位牌を納めた。以後当地の人たちにより守られている。
2021年07月11日 イオ飛騨守
大坂夏の陣・樫井の戦いで討死した塙団右衛門直之の墓で、五輪塔と説明板が建てられています。









