池上曽根遺跡
池上曽根遺跡([真鍋城 遺構・復元物])
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池上曽根遺跡の口コミ情報
2025年05月10日 百済門徒衆修理大夫とら
池上曽根遺跡(いけがみそねいせき)
国指定史跡で、南北1.5キロ東西0.6キロ総面積60万㎡の全国屈指の規模を誇る弥生時代の集落跡です。 集落の周囲を堀で廻らした環濠集落です。 弥生時代前期から後期に渡り営まれ、弥生中期2200年〜2000年前が最も栄えました。 最盛期の人口は1000人を超えていたと予想されます。 復元された大型掘立柱建物は、圧巻のスケールで、飾りの意匠も素晴らしく、この集落が大変栄えていた事が伺わます。 その前に、出土した直径2mの楠の大木をくり抜いた井戸枠が復元されています。 また他に、小型の寄棟と切妻の掘立柱建物復元が2棟があり、これは貯蔵や作業を行ったと思われます。 住居は、円形の竪穴式住居と方形の竪穴式住居が2棟復元されており、方形の竪穴式住居は内部に入れます。円形のものは老朽化の為、立入り禁止になっていました。
近くの大阪府立弥生文化博物館には、池上曽根遺跡出土物の展示や各地の弥生遺跡の展示物が多数有ります。
縄文の石器から鉄器の時代へ。稲作によって保存貯蓄が格段にアップ。それによって人口の増加。効率的な分業作業によって専門職人が生まれる。 そして武器の発達で殺傷能力が上がり、激しい争いが起こる事になったと考えられる。 農耕社会の発達は、水の確保と土地の維持管理が必須になりました。その為、水利の争いが起こる事になります。ムラ社会の存亡が掛かっているので命賭けで守ります。