栂山城(西山城)
栂山城(西山城)([小谷城 周辺城郭])
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栂山城(西山城)の口コミ情報
2026年05月24日 romikun
この石碑の位置は城趾ではなく、昭和46年にニュータウン造成により、城趾の施設の一部を移転をした事を記しています。
(「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)明治42側図)の開発前の古い地図を見るとこの碑から南西に数百メートルのところに墓地記号があり墓地の南西のラインに辺りより一段と高い山の二つの連なりがあるので、その連なりを利用した古城ではないか!
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現地碑転記
栂の西山城は、正平二年
上神氏十一代の領主右京亮常儀が築き、一族が豊田の東山城、小谷城とこの城に拠って摂河泉に勢威を振った。
ところが、元亀二年(四百年前)二十二代甚八郎政種のとき、三好氏と戦い、遂に敗れて当地の長峯山で討死し、三城とも陥落して一族が悉く離散した。その後
遺民等が亡君供養のため城址に墓碑を建て、また城山講を営み累代領主の霊を祭って今日まで継続してきた。
今回泉北ニュータウン造成のため墓地の移転を余儀なくせられたので講員一同は、祖先の遺志を体し、この機会に墓地を整備する
と共に新たに上神領主累代碑を建て、いっそう供養を保存に努める事となった。
昭和四十六年七月
栂城山講建之
2021年07月14日 イオ飛騨守
小谷城、豊田城(東山城)とあわせて「鼎城」と呼ばれる城で、原山台のニュータウン開発により遺構は消滅していますが、城址にあった上神(小谷)氏の墓所が原山台口バス停脇に移設され、領主累代碑や由緒書の石碑が建てられています。
バス停の南側あたりからは小谷城と豊田城が見渡せ、三城の位置関係と「鼎城」と呼ばれる理由を実感することができました。
# 城址の位置でなく墓所と石碑がある位置にスポットを設定しています。









