四天王寺
四天王寺([天王寺城 寺社・史跡])
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四天王寺の口コミ情報
2023年12月01日 源山城守@ポンコ2…
593年厩戸皇子により建立された四天王寺。
建立後から五重塔は7度の自然災害や戦禍で何度も消失も、今も6~7世紀の中国や朝鮮半島の建築様式を継承し続け、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式の日本で最も古いと言われる「四天王寺式伽藍配置」。
天正4年(1576)5月3日、明智光秀、佐久間信栄、荒木村重、猪子高就、大津長昌等の天王寺城に籠る織田方と本願寺勢との攻城戦で、四天王寺は炎上しました。
どちらが火を放ったのかは不明で、
四天王寺関連の古文書(「天王寺誌」)には「織田信長放火伽藍、開所寺領」と、織田方が四天王寺の伽藍に放火して寺領を没収とあり、
醍醐寺三宝院の「義演准后日記」には「前年一向衆信長卿度々及合戦、于時為一向衆不残一宇焼払了」と、本願寺勢(一向衆徒)が堂塔を残らず焼き払ったとあります。
その後、豊臣秀吉・秀頼親子により再建されるも大坂冬の陣で再び焼失、徳川秀忠が再建するも、その後も落雷や室戸台風、第二次世界大戦で消失と災難続きのお寺です。
たぶん天王寺城より四天王寺へ行かれる方のほうが多いかと思いますが、寺から北西に数百㍍の距離しか離れてない天王寺城(砦)との関わりもあり、口コミしました。