釣鐘屋敷跡

釣鐘屋敷跡([大坂城  遺構・復元物])

大坂城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:遺構・復元物)、「釣鐘屋敷跡」の地図・口コミがご覧頂けます。

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釣鐘屋敷跡の口コミ情報

2019年08月21日 源山城守@ポンコ2…


天満橋駅から谷町筋を南に、コンビニ(Fマート)の角を西に進むと、マンションやビルの群れの中に鐘楼(釣鐘屋敷跡)が見えます。ここまで駅から徒歩5~6分です。
鐘楼の住所は、大阪市中央区釣鐘町と地名の由来にもなってます。

1634年、3代将軍徳川家光が大坂城に入城する際、大坂三郷の惣年寄たちは、旭区今市まで出迎え、祝賀の意を表しました。
これを家光が喜んだ、豊臣の気配を消すためのパフォーマンス等様々な推測がありますが、大坂三郷の地子銀(固定資産税)を永久に免除しました。
当時の年間地子銀は合計で銀約180貫(1貫あたり125万円で約2.3億円)。
免除を喜んだ大阪三郷の町人衆は、後世までこの恩恵を伝えるため釣鐘を鋳造し、1日12回鐘を鳴らして時報としました。

鐘の鋳造を聞いた家光は銀80貫(300㌔)を寄付し、「釣鐘銘文并由来書」には銀80貫は釣鐘に鋳込んだとあります。
しかしながら、府教育委員会が鐘の成分を分析した結果、銀含有率は0.13%しかなく、銀の行方は気になりますが、鋳込んだフリしただけのようです。
銀をポッポナイナイしたのは誰でしょう。

鐘の音は、お初天神がある梅田あたりまで聞こえ、近松門左衛門の「曾根崎心中」に、
「あれ数ふれば暁の 七つの時が六つなりて 残る一つが今生の 鐘の響きの聞納め」の鐘で登場します。
~続く

2019年08月21日 源山城守@ポンコ2…
続き~
釣鐘は、江戸時代4度の火災に遭うも残りましたが、明治維新後の1870年、時報の役目が天保山台場から大坂城に移された大砲(今も天守前にあり)の号砲に代わりました。
背景には、徳川の善政の象徴を使い続けるわけにいかないとの判断があったとか。

役目を終え撤去された釣鐘は、その後、長光寺(天満橋南側)→旧江畔小学校(天満橋南側)→府立大阪博物場(大坂西町奉行所跡)など転々とし、1926年に大阪府庁屋上に「大阪町中時報鐘」として保存されました。
ただ、音が聞こえることがほとんどなく忘れられた存在となり、太平洋戦争の金属拠出で全国各地の釣鐘が軍需用に拠出される中、免れました。
ちなみに明治の号砲の音が正午に鳴ると、昼から休む(半休)方がいて、それを半ドンと言うようになったそうです。

1970年代になって存在に気づかれ、地元有志から返還を求める声が上がりました。
大手殺虫剤メーカーや会社経営者らが資金提供し、釣鐘屋敷があった場所の当時の地主から無償で土地の永代貸与を受けて現在の鐘楼を建設、1985年6月10日「時の記念日」に府庁から移されました。
今も、朝、昼、夕方の3回、コンピュータ制御で鐘のいい高音が響いてます。
ところが2年ほど前、釣鐘が設置されている土地の現地主(売却により変わった)から、釣鐘を管理する団体や釣鐘所有者で保証人の大阪府に対し、鐘楼を撤去のうえ土地明渡しの訴訟が起こされており、現在も係争中です。

家光の大坂城入城契機に鋳造された強運の釣鐘、紆余曲折が落ち着けばいいですね。

参考文献:大阪をつくった100人


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